M.夏の短夜に君と初めて
「一期、おかえり!」
ぱたぱたと、背後から軽やかな足音が駆けてくる。何より愛おしい声が出迎えてくれたので、喜びを湛えて振り向こうとした笑顔は、次の瞬間にぎこちなく強張った。なぜなら視線の先に愛しい恋人が、盛大に胸元のはだけた着物姿でいたからだ。
「ん、どうした?」
無邪気に小首を傾げる、そんな仕草も可愛らしいと思うほどには彼に骨抜きである。けれど、だからこそ、時として心を鬼にしてでも諌めなければならない。
「鶴丸殿、はしたないですよ」
極力その白い肌を直視しないようにはだけた袂を直してやると、鶴丸はからからと笑った。
「ああ悪いな、暑くてつい。こうしてると涼しいんだ」
本丸を巡る季節は今、日照りの強い夏を迎えている。確かに暑い。鶴丸のようにきっちりと着物を着込んでいればなおさらだろう。少しでも熱を逃がそうと着物を乱したくなる気持ちもわかる。だが、彼には圧倒的に危機感が足りないのだ。
鶴丸はいつ見ても涼やかな表情をしているが、その実暑さにも寒さにも弱い。極端に気温が上下すれば、それだけで動けなくなってしまうほど体調を左右されることもある。そんな彼は諫言に肩を竦めると、一期の首に腕を回して引き寄せた。急に近づいた距離にどきりと心臓が跳ねる。夏の太陽を吸い込んだ白と、仄かな汗の匂い。
「鈍いな、誘ってるんだよ」
艶かしく耳元に吹き込まれた吐息に、かっと一期の体温も上がった。咄嗟に鶴丸の肩を掴んで引き剥がし、蠱惑的に微笑んでいる顔を睨みつける。
「……そういうことを、軽々しく口にしないでください」
彼と思いが通じたのは、もう三ヶ月ほど前のことになる。先に思いを打ち明けたのは一期からだったが、鶴丸もずっと同じ気持ちでいてくれたらしい。驚くほど順調に始まった恋人という名の関係ではあったけれども、近頃は何の進展もなく停滞の様相を呈している。
原因は明白、一期が進展を拒んでいるからだ。拒んでいる、というのは少し語弊があるかもしれないが、意識してそうした展開になるのを避けている。
なぜかと言えば、正直いざ事に及ぼうと思った時、彼を前に自重できる気がしないのだ。恋人同士ならば自重など必要ないのかもしれないが、一期の抱えた劣情はそんなに可愛いものではない。自重しなければ、比喩でなく本当に三日三晩鶴丸を抱き潰してしまえそうなほどには。
だから無理だ。焦れた鶴丸がどんな色仕掛をしてその気にさせようとしてきても、一期は頑として誘いに乗ることはなかった。衝動的に彼を抱いて、傷つけたり、怯えさせたりしてしまったら。臆病者の戯れ言だと言われようが、最悪の事態を危惧する程度には己の欲深さを自覚している。
「なんでだよ。いつになったら手を出してくれるんだ? 俺が良いって言ってるんだ、遠慮するな」
「遠慮とかではなくてですね、そういったことはもっとこう、時間をかけてゆっくりと……」
「もう三ヶ月経った。きみのガッチガチな貞操観念に合わせてたら、何百年待たされるかわかったもんじゃない」
一期に拒まれると、鶴丸は決まって不満そうに異議申し立てをしてきた。やきもきする彼の気持ちも十分にわかっていたが、彼はきっと一期を甘く見すぎている。うぶな純心から拒んでいるのではない。男は皆狼なのだ。そんな本性を隠してでも彼を大切にしたいと思うからこそ、やんわりとかわし逃げ続けていた。睨んでくる鶴丸の視線が痛い。彼相手にいつまでもこんな態度が通用するとも思えなかったが、姑息な時間稼ぎである。
「夜這いかけても追い返すなんざ信じられないな」
「あれは、あなたが急に来るから本当に驚いて……もっとご自分の体は大切になさってください」
記憶に新しい夜這い事件は、本当に我が理性最大の危機だった。何だか寝苦しいと思って夜に目覚めると、鶴丸が一期の布団に潜り込んできていたのだ。驚いたなんてものではなかった。慌てて鶴丸を追い返して難を逃れたものの、彼に触れられていたという興奮と夜の薄闇の中で見る彼の姿にうっかり暴発してしまいそうだった。
「勘違いするな。俺は尻軽なわけでも好色なわけでもない。体を繋げたいと思ったのだって初めてだし、きみにならくれてやっても良いと思ったから言ってるんだ。何が不満なんだ? 処女だと面倒だとか思ってるのか?」
「しょっ、ち、違いますよ! 何てこと言ってるんですかあなたは! ああもう良いですから、早く食事に行きましょう!」
とんだ爆弾発言を平気でかましてくるものだ。面倒だなんて思うわけがない。むしろご褒美だ。恋人が処女と聞いて喜びを感じない男の方が稀ではないだろうか。嬉しいが、だからこそ、初夜というものが非常に肝心になってくる。千年近く守ってきた操を捧げてくれるというのだ。何としても、最初の共寝は最高の思い出として贈らなければ。急いては事を仕損じるとは肝に銘ずべき訓辞である。
鶴丸はつまらなさそうに唇を尖らせるが、一期の決意は固い。このへたれ野郎、と恨みがましくこぼされた台詞は聞かなかったことにして、彼の背を押し食堂へと向かわせた。
「なあ、今夜、きみの部屋に行っても良いかい?」
夕餉の席で、不意に投げかけられた言葉に箸を止めた。いつも一期の隣に座る鶴丸は、振るわれる料理の数々に舌鼓を打ちながらぽんぽんと話題を振ってくれる。そのおかげで和やかな会話は途切れることはないが、そこに突然変化球が投げ込まれたとあれば話は別だった。
「っていうか行くからな。空けておけよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな急に、困ります」
「何が困るんだ。そこは喜ぶところだろう」
焼魚の骨を剥がしながら、鶴丸は戸惑う一期にじとりとした視線を送る。夜に恋人が部屋に来るとはつまりそういうことで、その宣言は確かに喜ぶべきものだろう。普通なら。
しかし一期は困る。非常に困るのだ。なぜなら、まだ心の準備が整っていない。困惑する一期に、鶴丸は容赦なく畳み掛けてきた。
「先日の遠征でな、良い酒を買ってきたんだ。きみと一緒に飲もうと思って。久しぶりに一献やりながらゆっくり話そうじゃないか」
「え、いや、あの……」
飲まされる。恐らくしこたま酔わせたあとで、無理矢理雪崩れ込もうという算段なのだろう。本格的に貞操の危機を感じるが、何か口実を作ろうとした口には強引に冷えたトマトが押し込まれた。
「んぐっ!?」
「散々待った。俺は、健気に待ってたんだぜ。それでもきみから来てくれないなら俺から行く。――これ以上俺にへたれ野郎と思わせないでくれよ、一期一振」
鶴丸は静かなのに凄みのある声で言い放ち、一期の退路を断ってくる。心なしか瞳の色もいつもより冷たい。ああ、怒らせた、間違いなく詰みだ。だがこれ以上の逃げは許されない。トマトをもごもごと咀嚼しながら、有無を言わさぬ鶴丸の威圧に白旗を上げて頷くしかなかった。
「はぁ…………」
自分でも驚くくらい深い溜め息が出る。部屋の空気を重くしている自覚はあるが、出てくるものは抑えられない。入浴まで終えて就寝を待つ夜更け。宣言された通り、きっと一期の部屋では鶴丸が待っているのだろう。しかしやはり度胸が出なかった臆病な一期は、自室に戻らず友人の部屋に逃げ込んでいた。
「ずいぶん暗いな。この世の終わりのような顔をして」
「……そう見えますか」
呆れたような鶯丸の声が耳に刺さった。この世の終わりとまでは行かなくとも、男の名誉が失われるか否かの瀬戸際である。どうすればいいのか、未だに答えは見つからない。
「部屋で鶴丸が待っているんじゃないのか?」
「う、そ、そうなんですが……」
早く行かなければ、ますます彼の機嫌を損ねてしまうことだろう。わかっているのだが、重い腰は一向に上がらない。そんな一期の心情を存分に理解してくれている知己は、顔色ひとつ変えることなく踏み込んだ話をしてくる。
「大体、何を躊躇うことがあるんだ? お前たちは良い仲なんだろう? 鶴丸はあれだけお前に手を出して欲しがっているのに」
「……わかってます、ですから困っているんです。こちらの気も知らないで、あんなに無防備な振る舞いをされては」
「手を出す気がないなら正直に言えば良いだろう、ムラムラするからやめろと」
「身も蓋もありませんな!」
鶴丸同様この友人は、奥ゆかしい文化に生きてきたはずなのに言葉を濁すという手段を知らない。単刀直入でわかりやすいことは結構なのだが、内容が内容なだけにこちらが居たたまれなくなる。
「そんなに心配するな、あいつはあれでいて丈夫だ。お前がどんな無体を働こうと受け止めてくれるさ。それに散々待たせたんだろう。そろそろ応えてやれ」
「……」
反論のしようもない。あの鶴丸が矜持を捨てて夜這いにくるくらいなのだ。今夜宣告を突きつけられたのも、ずっと彼に我慢を強いてきたツケが返ってきたのだろう。自業自得で因果応報だ。ならばもう責任を取るしかない。
「……そう、ですな、いつまでもこれでは男が廃ります。そろそろ覚悟を決めなければ」
「そうだそうだ」
彼を愛しているからこそ、大切にしたいし幻滅されたくない。しかしそれで彼を傷つけては意味がないのだ。深く息を吐いて意思を固めようとすると、廊下から誰かの足音がする。おや、と目を向けた瞬間にすぱんと開け放たれた障子の向こうに、なぜか渦中の恋人がいた。
「いちごぉ!」
「つ、鶴丸殿?」
透けるように白い肌は今はほんのりと赤く染まっていて、強気な瞳は潤んでいるし呂律が若干怪しい。どうやら酔っているようだ、と一目でわかる。もう酒を飲んでしまったのだろうか。
鶴丸は不機嫌そうに口をへの字に曲げ、ずかずかと部屋に入り込んでくる。鶯丸は我関せずといった様子で呑気に茶を啜っていた。
「おら、いちご、どこで油うってんだ! ずっと待ってたのに、なんでかえってこないんだっ」
「ま、待ってください、あなたかなり酔って……うわっ」
ぐいっと乱暴に胸ぐらを掴まれ、期せずして顔が近くなる。漂う酒の匂いはかなりきつい。一体どれほど飲んだのだろう。鶴丸はそこそこ酒に強かったはずだから、彼が用意したのは度数のきつい酒なのかもしれない。
「好きって言ったくせに、あれは嘘だったのか? おれは遊びだったのか!?」
「め、滅相もない! そんなわけないでしょう、とにかく落ち着いてください」
酔って直情的になった鶴丸は手に負えない。据わった目に睨まれ、後ろめたさから目を逸らしてしまう。今し方覚悟を決めたばかりだったはずが、一足遅かったようだ。
「じゃあ抱けよ、おれはずっと覚悟してるんだ! あんなに誘ってるのに、きみは不能か、それともおれの体になんか興味ないか!」
「ちょっ、鶴丸殿! 違いますから、そうじゃなくて、ただ心の準備が……」
「あぁ!? おれが受けてやるって言ってんのに今さらごちゃごちゃ言うな、このへたれ!」
まさしく噴火、大爆発である。鶴丸の言葉全てが鋭利な刃物となって胸に突き刺さった。これほど彼に我慢を強いていたとは露知らず。それとなく鶯丸に助けを求めてみるが、自業自得だと視線だけで一蹴された。取りつく島もない。
「申し訳ない、仰る通りです……返す言葉もございません」
「だったら今すぐ抱け」
「今すぐ?」
「今すぐ!」
反論の余地はなく、もうこれは全面的に降伏せざるをえない。がるる、と今にも噛みつきそうなほどの剣幕で一期に掴みかかる鶴丸を見て、鶯丸がようやく動いた。
「鶴丸、俺はもう眠くなってきたから続きは自分たちの部屋でやってくれ」
「鶯丸殿ー!!」
友に見限られた瞬間である。鶯丸に半ば無理矢理追い出され、一期と鶴丸はふたりきりになってしまった。他に逃げるあてもないので一期の部屋に戻ることになったが、気まずいことこの上ない。いっそあの場で鶴丸に殴り倒されて気を失っていた方が幸せだったかもしれないと思うほどに。
「……えーと……」
部屋に戻ると、そこには敷かれたふたり分の布団と、転がった酒瓶に盃がひとつ。どう見ても瓶が空になっていると思っていると、不意に背後から鶴丸に抱きつかれた。一瞬刺されるかと思って身構えてしまったが、彼は一期の体に腕を回してぎゅっとしがみつくだけだ。
「……鶴丸殿? えっと、あの、お酒は……」
恐る恐る尋ねると、彼は一期の肩に顔を埋めたままぼそぼそと言う。
「ひとりでぜんぶ飲んだ。……きみとふたりで飲もうと思ってたのに、きみが、いつまでたっても帰ってこないから」
すん、と鼻を啜るような音と共に放たれたその言葉にも殴られる。ああ、最低だ。罪悪感で死にたくなった。健気に一期を待っていた鶴丸は痺れを切らし、とうとうひとりで酒を空けてしまったのだろう。どれほど虚しく淋しかったことか、その時の鶴丸の心境は計り知れない。これはもう己が完全に悪い。
「……すみません、鶴丸殿。淋しい思いをさせてしまいました」
「ああ、淋しかったよ、ばか」
顔が見たくて振り向こうとすれば、鶴丸は拒むようにますますきつく抱きついてきた。腹に回った腕が微かに震えていることに気がついて、もう手段を選んでいる段階ではないと悟る。その細い手首を掴み、強引に引き剥がすと同時に柔らかな布団の上へ痩身を引き倒した。
「っ!」
覆い被さると驚いて見開いた瞳が潤んでいて、眉は八の字に下がっている。泣きたいほどに彼を不安にさせていたのだと、今さらいたく思い知った。少し火照った頬を撫でると、ぴくりと華奢な肩が跳ねる。今までこうした意図を持って彼に触れたことはなかったかもしれない。ずっと一期が逃げてきたことだ。そして、ずっと鶴丸が望んできたことだ。
「……いち、ご」
「今まで申し訳ありませんでした。あなたの気持ちも考えず、私は自分のことばかり」
嫌われるのが怖いだとか予防線を張っていたのも、結局全て自分のためだった。へたれ野郎と言われても文句は言えない。触れたい、触れられたいと互いに思っているなら、単純に求めれば良かった、それだけだ。
「……泣いて嫌がっても、止められないかもしれません。それでも良いですか?」
「……はは、望むところだ」
「不慣れなので痛くしてしまったらごめんなさい。できるだけ優しくします」
「……うん」
「大分お酒を召されたようですけど……ちゃんと、覚えていてくださいね」
「忘れるわけないだろ」
覚悟を問う言葉を重ねて、少しずつ呼吸を合わせていく。夏の夜の蒸した空気が思考を蝕んで、上がった体温を溶かすように手を握った。目の前には、己を受け入れてくれる愛しい恋人の姿。ようやくその全てに触れられる。彼が抱えてきてくれた覚悟を、一期も返すのだ。
「鶴丸殿、今からあなたを抱きます」
「……待たせた分、たっぷり愛してくれよ」
唇を重ねる直前、最後に交わった視線は、どうしようもないほどの熱を孕んでいた。
夏の夜は短い。宵闇に紛れ、彼を隠しておける時間も長くないのだ。大事にしたいと慎重になる思いと、早く彼の全てを暴きたいと急く思いが鬩ぎ合って息を乱していく。
「……足、開けますか」
「んっ、ああ……、ぁ、そこ……っ」
白く滑らかな腿に手を這わせ、その奥に埋めた指を動かすと露出した肩が震える。乱れてはだけた着物から覗く、淡く色づいた肌に目が眩んだ。思わず吸い付けばきゅっと指を食む中が締まる。どうして彼の全てはこうも愛らしく、胸を掻き乱して止まないのか。
「んんッ、や、ぁあっ!」
衝動のままにこりこりと弱い箇所を押し潰せば、彼にしては高い嬌声が上がって耳に心地良い。無防備に曝け出された鶴丸の体が跳ねるのを眺め、征服欲が満たされていく。ずっとこうしたかった。何度も想像の中で思い描いたよりも柔らかで敏感な体の隅々にまで唇を落として、独占の証を散らした。
「あっ、ン、いちご……、も、いれて……」
とろりと滴る蜜のような瞳が揺れて、雄を惑わす声を吐く。あまりに甘美で淫靡な響きに、くらりと揺らいだ理性の糸がほどけていった。
三本の指で丹念に溶かしていた後孔は、潤滑油の助けも借りてかなり滑らかに開くようになっている。入るだろうか。挿れたい。腹の底に溜まる灼けるような熱は、今か今かと解放の時を待っていた。
「……では、お望み通りに」
元来我慢強い性分だと自負していたが、鶴丸に対してはどうも耐え性がない。性急な手つきで前を寛げ、すでに張り詰めている己の欲望を取り出す。じっと注がれる視線に気づいて顔を上げると、鶴丸が熱に浮かされた瞳でこちらを見ていた。
「……どうしました?」
「すご……おっきい……」
はあ、と熱い息を吐き出した鶴丸は、陶然と一期のそれを見つめてくる。それがどれほど男を煽り昂らせる行為か、彼は自覚しているのだろうか。優しくしようと思っていたのだが、やはり彼相手にそんな余裕はなさそうだ。
「これが、今からあなたの中に入るんですよ」
「ん、いれて……、ぁ、んぅっ」
ちゅ、と先端を押しつけると、ひくひくと息づいたそこは吸いつくように絡みついてくる。きゅっと目を閉じて小さく喘ぐ鶴丸が可愛くて、少しでも緊張をほぐそうと濡れた目尻に、頬に、唇を寄せた。
一期自身も息を吐きながらゆっくり腰を進めていくと、想像以上に柔らかく熱い粘膜に迎え入れられる。ずぷずぷと半分ほどまで埋めてしまうと、鶴丸はますますきつく目を閉じて敷布にしがみついていた。
「痛い、ですか?」
「んッ、ん……、へいき、だ、もっと、おくまで……」
ぼんやりと開かれた快楽に蕩けた瞳には、揺れる涙の膜いっぱいに一期の顔が映り込んでいる。今彼が見ているのは一期だけで、感じているのも一期だけだ。このまま彼の全てを満たしてしまいたいと、煽られるままに残りも埋め込んでいった。耐えず締めつけられる極上の感覚に耐えながら、歯を食い縛って強い射精感をやり過ごす。やがて根元まで飲み込ませると、ようやく一息ついて肩の力を抜いた。
「ン、ぁ……、ふ、はいっ、た……?」
「はい……、ちゃんと奥まで、はいりましたよ」
互いの荒い息ばかりが響く部屋には、のぼせそうなほどの熱気がこもっている。ねっとりと絡みついて一期を包み込む肉壺は初めてとは思えないほど馴染んで、ずっとこうしていたいほどに心地良かった。耳まで真っ赤に染め上げた鶴丸は、一期の存在を確かめるように下腹部に手を伸ばす。
「あ……いちご、はいってる……」
「ええ。よかった、やっと繋がれましたね」
夢にまで見た瞬間だった。体の奥深くで繋がっている、至上の幸福に胸が満たされていく。鶴丸もふにゃりと笑って、頬を撫でる一期の手に白い手を重ねた。
「うれしい……あつい、けど、きもちい、な」
どこか舌足らずなあどけない声が、ぞくぞくと背を駆ける興奮を呼ぶ。妖艶な色気を纏わせて誘惑してきたくせに、床ではむしろ幼く初々しいなんてとんだ魔性だ。そんなところも堪らないのだと、彼の腰を掴む手に力がこもる。
「動きますよ」
「ん……ぅ、あ……っ」
一度奥まで埋めた自身をずるりと引き抜いて、抜けかけたところで再び押し込んだ。彼の良いところをわざと押し潰すように擦ってみると、鶴丸は面白いくらいに体をびくつかせて悶える。快感に呼応して強くなる締めつけに、気を抜けばすぐに持っていかれそうだった。
徐々に速度を上げて奥を穿つようにすると、鶴丸は白い喉を晒して喘ぐ。狭い内側を割り開き、自らの形を覚え込ませるかのごとく何度も貫いた。額に滲んだ汗が滴り落ちる。敷布に散ったそれは、鶴丸の涙や汗、体液と混じり合って染み込んでいった。
「ひっ、ン、ぁあッ! いちご、おく、ぅ、ゃあぁ……ッ!」
「奥が、なんですか?」
「ひゃ、ア……っ、わかん、なぃ、なんか、へんで……っ」
快楽に従順な体に心が追いついていないようで、未知の感覚に戸惑い怯える様がまたそそる。無垢な体を犯しているという事実に自身がまた熱を持って、全身の血液が集まる腰が重く痺れた。
「へんになるくらい、好きですか」
「へっ、ぇあっ、まっ、ぁああッ!?」
ごりごりと肉壁を抉りながら彼が弱いという最奥を目指す。繰り返し突き上げるうちにどんどん奥まで入り込み、涙をこぼしながら髪を振り乱す鶴丸の痴態に口角を上げた。
常の余裕などどこにもない、ただ快感に侵され泣き喘ぐ可哀想な彼の姿には嗜虐心が擽られる。もっと善がり狂わせたい。ぐずぐずに溶かしてぐちゃぐちゃに犯して、誰も見たことのない彼の表情を見てみたい。子どものように残酷で無邪気な好奇心が顔を出し、理性を頭の端に追いやっていく。
「ほら、気持ちいいでしょう?」
「やぁッ、ま、ってぇ、ふか、んぁああッ!」
がつがつと獣のように腰を打ちつけて、軽い彼の体がずり上がっていくのも構わずひたすらに快感を追った。雁首で前立腺を潰せば、鶴丸はほとんど悲鳴のような声を上げて身を捩る。この期に及んで逃げようとしているのかと、可愛い抵抗を捩じ伏せて浮いた腰を引き戻した。
「ぃあッ、ぁああぁあっ!」
「っ!」
その拍子にごりゅ、と先端がさらに奥に潜り込んでしまって、目を見開いた鶴丸はがくがくと体を震わせる。痛いくらいに締めつけられ、不意のことで踏ん張りもきかずに一期も彼の中に熱を吐き出してしまった。搾り取られるかと思うほどの締めつけに最後の一滴まで注ぎ込むが、か細く喘ぎ続ける鶴丸の体はやはり痙攣したようにぴくぴくと跳ねる。その尋常でない様子に動きを止めてみれば、ずっと触っていなかった彼の性器からだらだらと濁った液体が流れ出していた。どうやら絶頂を迎えたらしい。後ろだけで達するには才能がいるとも聞いたが、まさか鶴丸がこんなに早く才能を開花させてしまうとは驚きだ。
「鶴丸殿、大丈夫ですか?」
「ぅ、あ……、いち……」
虚ろな瞳が再び焦点を結ぶまで、数秒を要した。不規則に震える吐息が、彼を襲った衝撃の強さを物語っている。くたりと脱力した体は、ますますもって無抵抗かつ無防備に一期に対して開かれていた。それに、物欲しそうなその艶めいた表情。濡れた瞳と唇は酷く劣情を誘い、単純な男の体はまた熱を燻らせていく。
「……知りませんでした、あなたがそんな顔をするなんて」
「へ……、ん、いちご……?」
まさかこれで終わりだとでも思っていたのだろうか。聡いくせに自分がどれだけの欲の対象にされているかまるでわかっていない。だからあれほど釘を差したのに。一期の彼への思いは、きっと彼が想像するより重く深い。抱いた欲は涸れることも果てることもないのだ。
未だ呆けたままの彼の腰を掴み直し、収縮する中を掻き混ぜるように一度突く。すでに硬度を取り戻した自身は大きく育っていて、中に注いだ己の精がまとわりついて濡れた音を立てた。それだけで大袈裟なほど震えた鶴丸は、大きな瞳を丸くして一期を見上げる。
「残念ですが、まだまだ、これからですよ?」
「え……、いちっ、ぁ、んぁッ!? やッ、まて、いま、いった……っ」
彼の訴えも聞かず、やや乱暴に欲を捩じ込んでざわめく肉襞の反応を楽しんだ。達した直後は体が敏感になるということは知っているが、彼が落ち着くのを待てるほど悠長にはなれない。容赦なく深い抜き差しをして、彼が他のことに意識を向ける暇すら与えなかった。
「ひぅ、アッ、んぐ、ぅう……っ」
苦しげに呻く声すら麻薬のように脳に染みて、獰猛な本性を覆っていた優しさが剥がされていく。加減なんて知らない。もっともっと溺れてしまえ。箍が外れた本能は、目の前の獲物を喰らい尽くすことだけを考えていた。
「っ、優しくできなくて、ごめんなさい……」
「ぁう、いちご……っ、ア、ぁ、んあぁ……ッ!」
茹だるような夏の夜だ。暑くて熱くて、骨の芯まで融けてしまいそうな熱に魘される。互いの境界が溶けるくらい激しく求め合う行為は、今の己の容すら曖昧にした。
「……ッ、鶴丸殿……、」
健気に一期を受け入れてくれている愛しい彼の名を呼ぶと、声より先に体で反応が返ってくる。それがまた愛しくて、先程から半開きになったままの唇にそっと己のそれを重ねた。差し込んだ舌で熱い咥内を辿っていくと、応えるように舌が絡まされる。
「んっ、んぅ、はふ、ぁ……、」
上も下も、彼と交わる部分から伝わる熱にくらくらと酔った。力なく投げ出されていた彼の手が一期の背に回り、縋るようにしがみついてくる。それが嬉しくてこちらも腕を回し抱き締めると、もう触れ合っていない部分はないのではないかというくらい密着した。
「んん、ん……っ、はぁ、いちご……」
「ん……なんですか?」
「あ、つい……、とけそうだ……」
「はは、そうですね……とけそうなくらい、気持ちいいです」
すでに輪郭の溶け出した瞳は重そうに細められていて、彼が疲労している事実を告げる。ここでやめて彼の体を労ってやるのが一番いいと、頭の中ではわかっていた。けれども、情欲を飼い慣らせるほどの冷静さも謙虚さもとっくに脱ぎ捨てている。止めていた律動を再開させれば、鶴丸はまた掠れた声をこぼして一期の背に縋りついた。
「んくっ、ぅ、ひ、ぁあ……っ」
「すみません、苦しい、ですよね」
口先では謝っても、さらさらやめる気はないのだから笑ってしまう。眉根を寄せて涙を流し続ける鶴丸の表情には、快感と少しの苦悶が交互に訪れているように見えた。しかし一期が傷を舐めるように涙を舌先で掬えば、混濁していた鶴丸の瞳がこちらを向く。どれだけ欲に溺れても、変わらず綺麗な瞳だと思った。
「……だいじょうぶ、だ」
荒く掠れる呼吸の合間に紡がれる言葉に、いじらしく見上げてくる視線に、釘付けになってしまう。
「すこし、くるしいけど……、それよりずっと、きもちい、から」
いいぜ、もっとして。
そんな風に口許を緩めて、また一期を許す言葉を連ねる。そんな風だから――そんなに隙だらけなくせにどこまでも許してしまうから、こんな男に付け込まれてしまうのだ。それを免罪符に甘え続けてしまう自分自身が一番の問題だということも棚に上げて、言質を取ったとばかりに邪な情熱は燃え上がる。
「……あなたは本当に、私を甘やかすのがお上手ですね」
「めったに、甘えてくれないからなぁ……ん、おれも、きみがそんな顔をするなんて、知らなかった」
どんな顔だろう。湖面のような瞳に映る己の顔は揺らいでいてはっきりとは見えない。別に、それだっていいのだ。自分さえ知らない顔なら、鶴丸だけが知っていればいい。甘美な秘密を、彼とだけ共有していたい。
「ん、いちご……遠慮、しなくていいから……もっとどろどろに、とかしてくれよ」
「っ、またあなたはそうやって……これ以上ひどくされたいんですか?」
「いい、ぜ、ひどくして、もっと……いちごを、おれに教えて?」
「……では、私にもあなたを、教えてくださいね」
腰に絡みついた足が艶かしく誘った。呼吸も散々に乱れ、余裕なんて残っていないはずなのに。いっそ殊勝なほどに愛おしい。奥を突かれて果ててしまうくらい快感に弱いくせに、煽り文句だけはいつも一丁前だ。そしてそんな文句にいちいち煽られてしまう自身もまだまだ未熟なのだろう。もっとと、彼がそうねだったのだ。だから止まれなくても仕方ない。
「ふたりで、どろどろにとけましょう?」
「いちご……、っん、ぁ、」
暗がりに甘く名を呼ぶ声も唇で塞いで、浅い夜に沈んでいく。谺す吐息と嬌声が耳を犯す。閉ざされた部屋の中、上がる温度に思考が焼き切れた。
熱く短い夜が明け、迎えた朝は昨夜の熱気をまだ孕んでいるようだった。座っているだけでじっとりと汗ばむように暑い。そんな室内に重く吐き出されたのは、昨夜と全く同じ嘆息である。
「……申し訳ありません、こんなはずでは……」
「いや、俺もわるかった……きみに、迷惑かけて」
一期が項垂れて猛省すれば、布団から起き上がれないままの鶴丸も少しばつが悪そうに言った。がらがらに掠れた声に罪悪感は募るばかりで、いっそう自責の念に駆られてしまう。
ふたりにとって記念すべき初夜は、実に濃厚で充実したものとなった。ほぼ明け方近くまで、結局鶴丸の意識が飛ぶまで愛し合ったのだ。しかしそれが良くなかった。一期が強いた行為は鶴丸の体力の限界を越えてしまっていて、朝になり目を覚ましたあとも、鶴丸はぴくりとも動けなくなってしまったのである。腫れた瞼の下の瞳は重たげに潤み、ちらりと視線を寄越して一期を見上げた。
「情けないよな……自分から誘ったくせに」
「いえ、悪いのは無茶を働いた私です! すみません、もっとあなたの体のことを気遣うべきでした」
鶴丸に落ち度などないし、己への失望と強い後悔は消えない。後半は完全に理性を失ってしまったので記憶が定かではないが、鶴丸は泣いていた、気がする。もう無理だとも言っていなかったか。鶴丸の初めては、とろとろに甘やかして大事に大事にもらうつもだったのに。自らの欲ばかり押しつけて、しつこく彼を追い詰めたのは間違いなく一期の失態だった。
中に何度出したかもわからない。一応できる後処理は行ったが、掻き出したその量に我ながら愕然とした。嫌われてしまうかもしれない、と危惧していたことを見事実現してしまったわけである。今度こそこの世の終わりのような顔をしていると、鶴丸が小さな唇で一期の名を呼んだ。
「いちご、こっち、来い」
「はい」
素直に枕元に近づき、鶴丸の顔を覗き込む。全く動けないのだと思っていた鶴丸の手が伸び、一期の首に回された。そのまま身を起こし、ばふりと肩口に顔を埋めてくる。ぎゅっと抱きつかれ、行き場を失った手が虚空をさまよった。
「え、っと……?」
鶴丸の想定外の行動に戸惑っていると、彼が少し背に爪を立てる。昨夜も散々引っ掛かれた痕が残っていると思うが、鶴丸の感じた苦痛に比べたら些細なものだった。
「つ、鶴丸殿……」
「……おれをこんなにして、責任、ちゃんととれよな」
「え、あの……?」
「頭がくらくらする。体もずっとあつくて……きみにふれたくて、仕方ない」
耳元で、そんな拗ねたような声を出すから。ぎゅんと体温が急上昇してしまうのは、致し方ないことなのだ。
「あ、あの、鶴丸殿。私もです」
「ん?」
「昨夜からずっと、頭がくらくらして、体が熱くてたまりません。あなたに触れたくて……今も、正直いろいろと精一杯で」
「……ふ」
自分も同じ気持ちだと白状すると、鶴丸の小さな笑い声が耳に刺さった。昨日の今日で底無しと思われるだろう。しかしもうこの体の高ぶりは、決して隠し通せはしない。今さら取り繕う必要もないと言い訳してみる。
お互いさまだな、と鶴丸は楽しそうに笑い、戯れるように一期の首筋に髪を擦り寄せた。言い聞かせるような掠れた声が鼓膜を震わせる。
「……なあ、今度は、もっとゆっくりしてくれ。昨日は激しすぎて、気持ち良かったけど、すぐなにもわからなくなったから」
「え」
「おれはもっと、きみの顔とか見たいし、声も聞きたい。きみが言ってくれたこと、ぜんぶ聞けなかったのがくやしい。だから、今度する時は、ちゃんとぜんぶ覚えてたいんだ」
「鶴丸殿……」
「こんなザマじゃ、説得力ないかもしれないが……おれは、ちゃんと次もしたい。きみがさわってくれないのが、一番いやだ」
しがみついたまま、そんな可愛らしいことを言われて頭の中で何かが砕ける音がする。何を言っているんだろう。天使か? 天使かな? あまりの懐の深さに崩れ落ちそうだった。ああもうだめだ、こんなもの我慢するだけ無謀だ。むしろよく今まで頑張った。おめでとう理性。今までありがとう。そしてさようなら。もう我慢なんてできない。
「鶴丸殿、折り入ってお願いが」
「……あいす」
「は」
「あいす、一本な。すいか味のやつ」
「はあ……わかりました、あとで買ってきますね」
不粋なお願いの対価がアイス程度で良いのだろうか。体を安売りしすぎて心配になるが、一期が言えた立場ではないので黙っておく。普段はそこそこに傍若無人で自由奔放なくせをして、こんな時の我が儘はひどく可愛らしい。
「ほら、やるよ」
不意にぐっと顔を引っ張られて、熱い唇が唇に軽く触れる。ぶわりと弾ける熱が、眩むほど瞼の裏へ、爪先まで迸った。今までならすぐに引き離していただろう肩を、衝動を抑え込みながらそっと引き寄せる。すぐに離れていったそれを惜しむほど、もう微熱に浮かされていた。
「全部やる。きみ以外嫁ぐあてがないんだ、ちゃんともらってくれよ」
見蕩れるほどに艶やかに、鮮やかに笑う。この手に納めてなお無垢な白は、きっとくすむことはない。
――ああ、本当に、そういうところが。厄介で不敵で、愛しくてたまらない。抱き合った体が溶けそうなほどに熱いから、返事代わりにその熱を彼にも口移しで与えた。