K.プラムケーキとハーブティー
珍しくアルバイトがない日で、大学のゼミも順調に終わった一期は、普段よりは早めの帰宅ができそうだと家に向かっていた。そろそろ暑さも本格的になる7月上旬だったが、まだ梅雨明け宣言が出ていない。そのせいか、夕方急に空が暗くなったかと思うと、雨がぽつぽつと降り出した。
慌てて大学の教科書やら筆記用具やらを入れたバッグの中から折りたたみの傘を取り出し、広げる。疲れのせいか、ショルダーのバッグが肩にずしりと食い込んで、ひどく重く感じた。
急な雨のせいで足許を濡らしつつ、一人暮らしのアパートに辿り着く。玄関ドアに向かう前に郵便受けを覗き、中身を全部取り出してチェックした。ほとんどが不要なチラシだったけれど、一枚届いていた葉書の差出人を見て、一期は思わず顔を綻ばせた。
が、ひっくり返した裏面を見て今度は眉をひそめる。抜けるような青空を背景に、暢気に昼寝をする猫の写真は、おそらく彼が撮ったものなのだろう。それはいいのだ。だが、そこに書かれた一行が簡潔すぎて用を成していない。
『同窓会やるから帰ってこい』
「まったく……鶴丸さんは、いつもいつも肝心なことを伝え忘れますな」
ため息をひとつついて、とりあえず家に入る。窓を閉め切っていたので熱気がこもってしまっていて、一期はまず窓を開けて換気をした。雨は小降りになってきていて、この分なら明日は晴れてくれそうだ。
そうして時計を確認して、おそらくこの時間ならば大丈夫だろうとスマートフォンを取り出し、電話帳から目当ての番号を選んで電話をかける。
『ありがとうございます。喫茶グリーンでございます』
久しぶりに聞く鶴丸の声は営業モードで、少しだけ大人びて聞こえるそれに、こちらもつい畏まった声となってしまう。
「あの、粟田口です。今、お電話大丈夫ですか?」
『あ、一期。ハガキ着いた?』
名乗ったとたんに年齢相応のはしゃいだ声となる鶴丸に、知らず頬が緩む。
「はい、今日……それで、同窓会はいつなのでしょう? 日時が書いてないのですが」
一期は届いた葉書を手に持って、念のため表に裏にとくるくるひっくり返して眺めてみるが、やはり日時のようなものは書かれていない。
『あれ、書いてなかったか? すまん、すまん、えっとー…』
電話の向こうで鶴丸が何かをめくる音がする。恐らく電話の近くにかけてあるカレンダーだろう。何度か訪れたことのある喫茶店の、カウンターに置いてあるクラシックな電話の受話器を耳と肩で挟み、カレンダーをめくる鶴丸を想像して、一期は不意に会いたいという気持ちが強くなった。
だけど、彼のいるところはここから百キロメートルは離れている。電車に乗って行けなくもないのだが、即会いに行けるほどの距離でもない。それに、大学の講義だのバイトだの、日々の予定はそこそこに詰まっている。
一期はそんな気持ちを押し隠して、電話越しに悟られないように平静を装う。
「いつも言っているじゃないですか。大事なことこそ書いてくださいと。だいたいあなたはいつも……」
『はいはいはいすいませんね……んと、あ、すまん。やることだけ決めて、日時これからだ。ははは』
「……それじゃいつ帰省すればいいのか決められないじゃないですか!」
あんまりな返答に、つい声を荒げてしまうが、電話の向こうの相手は気にした風もない。
『八月の盆過ぎ、後半なのは決まってるから、そのあたりで』
「大雑把過ぎですな。こちらにも都合というものがですね」
『ごめんって! でも来るだろ? 決まり次第連絡するからさ。あ、お客さんきたから、また今度な』
そんな彼の声を最後に、電話は無常にも切られた。もう少しだけ、話していたかったのだけど、これ以上はつい余計なことまで口走ってしまうかもしれないから、ちょうど良かった。
一期はほっと息をついて、スマートフォンをローテーブルの上に置いた。
……いいかげん専用の電話を持ってくれればいいのに。スマートフォンでなくても、ガラケーだってかまわない。毎度毎度、開店前だの暇そうな時間だのを見計らって店に電話をかけるというのは、正直少々めんどくさい。
だけど……それが心底イヤかと問われれば、実のところそうではないのだ。電話だけではない。毎年彼が送ってくれる暑中見舞いのハガキの、ほんの一、二行書かれた手書きの文字ですら、一期は楽しみにしている。用事があって電話をかけ、彼の声を聞くときなど、嬉しくてつい笑顔になってしまっている。
そんなささやかな事を嬉しいと感じるくらいには、彼のことが好きなのだ。もうずっと長いこと、恋焦がれている。真っ白い儚げな容貌を持った、幼馴染の五条鶴丸に。
一期からの久しぶりの電話を切って、鶴丸は思い切りはああ、とため息をつく。
顔が熱いのはきっと気のせいではなく、緊張と嬉しさとで真っ赤になっているのだと思う。掌で頬を押さえれば、そこはやはり熱い。
客が来たのは嘘だったが、アレ以上会話をしていたら緊張のあまり、うっかり何を口走るかわからない。だからまあ、あのくらいの時間が限界だ。
「相変わらず……いい声しやがって……」
毎年帰省時期には顔を合わせるものの、それ以外は滅多に会う機会がない。子どもの頃は近所に住んでいたから、それこそ毎日のように一緒に遊んでいたものなのだが。
一期と遊ぶと楽しくて楽しくて、時間が経つのも忘れたものだ。お互いの家に泊まりっこしたりして、いつもくっついて遊んでて。親同士もあきれてたっけなあ。ま、そういう母親同士がそもそも産院で知り合ったというのだから、子ども同士が仲良くなるのも必然かもしれないが。
そんな仲良しな幼馴染に対して、大好きという気持ちが恋心に変わったのは、さていつのことだったか。はっきりした時期は曖昧だけど、それは胸の中で確実に育っていった。
「まあ……片想いだけどなあ」
こんな気持ち、男同士でどうしろというのだ。そもそも口にしたところで、一期に気味悪がられてしまうだけだろう。そんなのは、ダメだ。それくらいなら……嫌われてしまうならば、この気持ちを仕舞って秘密にしておこう。せめてこのまま、友達として付き合い続けていけるように。
決して気づかれてはいけない。
鶴丸はいつものようにそう決心して、客のこない今のうちにとスマートフォンを取り出して、同窓会に参加する地元メンバーへとLINEを送った。
電車を降りて改札を抜けると、そこは真夏の陽射しが溢れていた。夏休みに入った一期は、鶴丸からの誘いもあって、八月に入って盆少し前に帰省した。
大き目の旅行バッグを持ち直し、まずは駅前の商店街へと足を向ける。観光客向けの土産物屋や食べ物屋、カフェなどが軒を連ねている通りは、いつでも人が多くて賑やかなのだが、都会のそれとはなんとなく違うと感じる。
やはり観光に来ている人が多いせいなのだろうか、どことなくのんびりと店を覗きこむ老夫婦や、ガイドマップ片手にカフェのメニューを眺める若い女性同士、食事時には有名店に入ろうかそれとも喫茶店にしようか思案している家族連れなどなど。子どもの頃には日常だった景色が、帰省のときに妙に懐かしく目に映る。
そんな景色を横目に、一期は商店街の突き当たりで信号待ちをして、青に変わると横断歩道を渡った。そこから更に海の方へと近付いて、また別の通りを少し歩く。美味しい海鮮丼を食べさせてくれる店の手前を曲がったところ、二、三軒奥まった位置に昔ながらの喫茶店”グリーン”はあった。
決してオシャレなカフェではない昔ながらの”喫茶店”の変わらぬ佇まいに、一期はいつもここに来ると、地元に帰ってきたんだなあ、とほっとする。そうして一瞬ドアを見つめてから、片手で押して開けようとしたら、ちょうど内側からドアが開かれた。
「じゃあね、鶴丸さん。また明日」
「おー、ありがとうな」
その男は店内にいる鶴丸へ親しげに声をかけ、こちらを振り返った。がっしりとした体躯に、一期より若干高い身長。少し長めに垂らした前髪が右目を覆っていたが、かなりのイケメンだ。
「あ、すみません。どうぞ」
「ありがとうございます」
なんとなく気になりながらも、入れ違いに店内へと入る。カラン、という控えめなベルの音と冷やりとした冷房が、汗の滲んだ肌を涼しく掠めて気持ちが良い。
「いらっしゃいませー! あれ、一期?」
「あの、お久しぶりです」
「もしかして今日から帰省? あ、空いてる席にどうぞ」
一期の持った荷物を見て、鶴丸がそう問いかける。そういえば帰省するとは言ったが、いつとまでは伝えてなかった気がする。入り口から店内を見渡せるくらいの広さの店だが、それなりに常連客もいるらしく、忙しいときは鶴丸一人では手が足りない、と以前に聞いた気がする。今日は平日昼下がりのせいか、他には観光客らしき女性客二人が、ソファ席でガイドマップを開いて寛いでいるだけだった。
「外、暑かっただろ? なんか飲むかい」
「ええと、じゃあ、レモンスカッシュをお願いします」
「おっけー」
カウンターに座った一期に、冷えた水の入ったグラスと、温かいお絞りが置かれた。店主代理である鶴丸は、そのまま一期のオーダーしたレモンスカッシュを作りに、厨房へと入る。とはいえ、カウンターのすぐ向こう側なので、覗き込めば見えてしまうのだ。
おまけにカウンター席は高さがあるので、ちょっとその気になれば厨房で働く鶴丸の、手元まで見ることが出来る。一期は頬杖を付きながら、瓶詰めのレモンを取りだす白い手や、氷とレモンスライスの上から炭酸水を注ぐときの、グラスを見つめる蜂蜜色の目に見惚れていた。
「はい、おまたせしました」
トン、という音がして、見惚れていたことに気が付く。一期の前には冷えたレモンスカッシュが置かれ、しゅわしゅわと音をたてる泡と、グラスの中と縁に添えられたレモンスライスが美味しそうだ。おまけに、ここのスカッシュは果肉が入っていて、そんなところがちょっとだけ嬉しくなる。
「いただきます」
律儀にそう言って、一口飲む。程よい蜂蜜の甘さと、炭酸の刺激が喉を下って行って、先ほどまでの暑さがすうと遠のいた気がした。そのまま半分ほどを一気に飲み干せば、カラン、と氷の音が響く。
「……美味しい……」
「そっか、そりゃあよかった」
思わず出た呟きに、鶴丸がにっこりと笑顔になる。その顔に、ああ帰ってきたなあ、と再度感じる。本当は声だけじゃなく、もっと近くにいたいと思ってしまうのだけれど。
――それは、叶わない願い。
「あの、先ほど出て行った方は? お客様ですか」
「ああ、あいつは近所の花屋なんだ。定期的に店に飾る花を持ってきてもらってる」
なるほど、言われてみれば全身ほぼ黒っぽい服装だったのは、エプロンのせいだったかもしれない。そんな関係ならば、あの親しげな口調も納得がいく。
(……おもしろくは、ないけれど)
それは一期が勝手に抱くわがままな思いだ。口に出してはいけない。
「あのう、ごちそうさまです」
「あ、はーい。ありがとうございます」
ソファ席にいた二人組がレジ脇へと近付いてきて、鶴丸は愛想の良い笑顔を浮かべながら、伝票を片手にレジを打つ。
「あの、この周辺でお勧めの観光スポットってどこですか?」
会計をしながら、二人組の片方、栗色のカールヘアの女性が鶴丸に問いかける。さっきガイドマップを見ていたはずなのだが、決められなかったということだろうか? じっと見つめるのも失礼なので、耳だけをそちらに傾けて、スマホを弄りつつレモンスカッシュを飲む。
「うーん、一番近いのはこのまま海に出て、恋人岬かなあ。岬っていっても突き出たところにベンチと鐘があるくらいだけどね」
「えー、私たち、いま彼氏いないんですよ」
「なんか一人で鐘鳴らすと相手ができるらしいよ」
「ええ、本当ですかあー?」
「さー、俺は試したことないけどね」
栗色カールヘアと、もう一人のボブカットの女性も一緒になってきゃはは、と笑う。
「あとは……あ、ガイドマップ持ってる? ちょっと貸して……んーと、ここにあるオルゴールの館がけっこう評判いいよ。あとここのホテルのカフェがオシャレで……」
鶴丸が丁寧にマップを辿り、お勧めの場所を教えている。常日頃、観光客に道を聞かれたり、お勧めの場所を聞かれたりしているのだろう、案内の仕方も物慣れている。きっと相手によって、喋り方も変えているのだろうが、今回は同年代のせいかやけにフランクだ。それとも若い女性だからだろうかと、つい穿った見方をしてしまう。
(……そこまで丁寧にする必要が、あるのか疑問ですけど)
聞き耳を立てていた一期は、少々おもしろくないと感じてしまうほどには、鶴丸は愛想が良かった。それは、こういう客商売をしている上ではむしろ必要なスキルではあるけれども。
「ごちそうさまでしたー!」
「美味しかったです!」
「ありがとうございました」
女性二人組が店から出て行くと、とたんに店内は静かになる。他に入ってくる客もいないので、一期と鶴丸の二人きりだ。
「すまないな、ほったらかしで」
「いえ、お客様優先なのは当然ですから。あの、ところで同窓会はいつでしたっけ?」
おもしろくは、ないですけれど、と心の中だけでそっと呟く一期だが、かと言って鶴丸と二人きりの空間も少々緊張してしまう。うっかり妙な事を口走らないといいのだけど、と当たり障りのない話題を口にした。
「ああ、えっと。週末は稼ぎ時な奴らが多いから火曜の夜なんだけど、一期いつまでこっちにいられる?」
「そうですな、来週一杯までは」
「お、じゃあ夏祭りも大丈夫だな! きみの弟たちが手ぐすね引いて待ってるんじゃないか?」
そう言ってあははと笑う鶴丸が、やっぱり好きだなあと思った。ただの客にすら、嫉妬してしまうほどに。
「そういや腹へってないか? なんか食べる?」
「あ、ええと、軽く昼は食べてきたのですが……」
そういえばなんとなく小腹が減った気はしている。が、実家に戻る途中に何か調達するか、帰れば何かありそうな気はしている。
「じゃあ、夏のケーキ味見してくれよ。試作品だからお代はナシ」
そう言って鶴丸が一期の前に置いた皿には、なにか果物の入った焼き菓子と、ゆるく泡立てた生クリームがとろりと添えられていた。
「果物屋の息子に泣きつかれてなあ。仕入れ間違えて、プラムが大量にあるから、つって」
「ああ、これはプラムなんですな」
そういえばスーパーでも見かける季節になってきた。甘酸っぱい果物は嫌いではないのだが、独り暮らしではつい余らせてしまうので、なかなか果物を買う機会がないのだ。
「いただきます」
そう言って添えられたフォークをケーキに差し込んで食べやすい大きさに切り分け、口に運ぶ。ぱくり、と食べれば上にかかった砂糖らしきものが焼かれてさくさくと小気味良い食感を醸し出し、プラムの甘酸っぱさとマッチしている。生地はざっくりとした食感で、素朴ながら美味しい。
「美味しい、です。プラムは甘酸っぱいのに、上のこのサクサクした……お砂糖ですか? 口の中で程よい甘さになって」
「そうか! じゃあ夏はこのレシピにしてみよう。ありがとうな。上に乗ってるのはブラウンシュガーなんだ」
ふふふ、と笑った鶴丸がひどく嬉しそうで、一期はケーキを飲み込みつつ、思わずコクリと喉を鳴らした。夏の日差しが体の中に籠もったようで、体温がひどく熱く感じた。
「はーい、じゃあ揃ったから乾杯するぞー!」
「そっち、グラス持った? おっけー? いいぞー!」
わいわいと賑やかなざわめきの間を縫って、一際声を上げるのはこの酒屋兼居酒屋の跡取りでもある、獅子王だ。地元で同窓会をやる時にはたいてい獅子王の店を使っているので皆慣れたものだし、気楽に寛げるので助かる。今日も貸切にしてもらったので、心置きなく同窓会を楽しめそうだ。
「では! 毎年恒例の同窓会を始めます! 今年も集まってくれてありがとうございまーす、かんぱーい!」
「かんぱーい!」
「乾杯」
「かんっぱーい!」
獅子王の挨拶と共に、あちらこちらでグラスが触れる音がして、数秒後に拍手。
「今回は特別ゲストもいないし、特に企画もないので気楽にご歓談くださーい」
そう叫ぶように告げると、幹事もすとん、と座って飲みかつ食べ始めた。一期もビールのグラスを置いて、まずは何か腹にいれなければと箸を手に取る。会場をくるりと見渡せば、懐かしい顔やら、あの人かな、という微かな面影が残った顔などが目に入る。高校の一クラスの同窓会の割には、そこそこ集まっているみたいだ。
「そういや、粟田口は大学生だっけ? いま夏休みか、いいなあ! 今年はいつまでいられるんだ?」
「先週半ばにこちらに着いて、夏祭りが終わるまではいる予定ですな」
まあまあ一杯、という声とともに、半分ほど減ったグラスに新たなビールが注がれる。お互いに注ぎあいをしつつ、近況報告などで会話が弾む。
「それにしてもなあ、大学院生とかすげえよなあ。就職先とか、引く手数多なんじゃねえ?」
「うーん、そこまでは……どこの業界も人件費を削減しているので、募集も多いというほどではありませんな」
「えー、そんなもんか? 博士様でも大変なんだなあ」
「まだ博士ではないですけどね」
同窓会なので当然みな同い歳で、でもそれぞれが就職したり進学したり、結婚をしたりと現在の道は様々だ。地元の観光地で店をやる者もいれば、遠方に就職した者もいる。それでも帰省してくる者はそれなりに多く、顔を合わせればいつも一緒にいた頃のように、すぐに会話が盛り上がる。
そんな友達がいるというのはいいものだな、と一期はビールを飲んで酔いの回ってきた頭で考える。本当なら、もっと頻繁に帰省もしたいのではあるのだけれど。
それはもちろん、鶴丸が地元で仕事をしているから、というのが大きいのだが。それだけではなく、やはり生まれ育った街は落ち着くものだと、楽しげな賑わいの中で一期はしみじみと感じていた。
すっかり暗闇となった海岸沿いに、砂浜を歩くさくさくという二人分の足音が響く。時折波が強めに打ち寄せ、足許に飛沫がかかる。濡れてしまいそうなぎりぎりの波打ち際を、一期と鶴丸は酔いを醒ましつつのんびりと歩いていた。
「あー、酔ったなあ。一期は平気かい?」
「ああ、ほどほどにソフトドリンクにしていましたので、それほど酔ってはいませんな」
「なんだそりゃ。きみはー、ちょっと付き合いが悪かないか?」
んん? と振り返って一期の胸に指を当て、小首を傾げて上目に問いかける蜂蜜色が、それなりに酔っている。普段よりも赤みが増した頬と、とろりとした瞳で見つめられ、うう可愛いと思ってしまうが、そこは理性が先に立つ。
「だいたいだなあー、きみは年下のくせにー」
「あのう、年下と言っても一日だけなのですが……」
それは世間一般的には同い歳と言うのでは。そもそも母親同士が同じ産院で、一日違いで出産し、そこから付き合いが始まったと聞いている。学年だって同じだし、それでどうして年下扱いなのだろうか。
そもそも、どちらかと言えば鶴丸の方が何にでも興味を持って首を突っ込むので危なっかしくて、たとえ本当に年齢が上だったとしても、とてもそうは見えない。そういえば、側にいてフォローするのはいつも一期の役目だったな、と思い出す。
鶴丸もさすがに二十歳をいくつか超えているのでそれなりに落ち着いてはいるが、やっぱり変わらず興味のあることには目を輝かせて突進しているのだろう。電話で話すだけでも、そんな本質は変わっていないと感じる。
でも今は、一期は側にいられないのだ。地元の商店街には同窓生も多いし、鶴丸は誰とでも仲良くなるタイプなので、一期が側にいなかろうが寂しくはないのだろうが……ちょっと妬けてしまう。
「あ、鶴丸さん、危ないですよ……酔ってるんですから、もう少し波打ち際から離れましょうよ」
「よってなーい! だいたいなあ、いちはいっつもそうだ。昔っから一人だけ優等生面しちゃってさー」
一期のやや前方を歩いていた鶴丸が、またくるっと振り返って叫ぶ。と、その動きに足許がぐらつき、倒れそうになる。
「あぶないっ!」
「う、わっ!」
一期は反射的にに鶴丸の腕を掴むが、咄嗟のことで重力に逆らうほどには踏ん張れず、二人して砂浜に転んでしまった。お互いの顔が一瞬だけ触れ合うが、さらにタイミングよく訪れた大きめの波が、ざぶり、と二人を包み込んですぐに引いていく。
「……冷たい……」
「ですね……」
幸いにも頭からではなかったが、首から下までは波を被ってしまって、しばし呆然とする。が、すぐに次の波が来て慌てて立ち上がり、海岸の上がり口にある階段に座り込む。
「あー、けっこう濡れたな……しまった……」
「それより大丈夫ですか? お怪我は?」
「んや、平気……一期までごめん、濡れちゃったな」
まだ少しぼんやりとした鶴丸がそう答えて、一期はとりあえず怪我のなかったことにほっとする。濡れただけならばそのうち乾くから、どうってことない。
「仕方ありませんな……乾くまで少々待ちますか」
「俺ん家で乾かすかい? 近いし。シャワーくらい提供するぞ」
「え、あの……よいのでしょうか?」
「当たり前だろ、なんだ、今さら遠慮か?」
そう言って鶴丸が明るく笑う。一期は先ほど転んだときに鶴丸に覆いかぶさるような体勢となってしまい、しかも……もしかしたら唇同士が触れてしまったような気がして、実はちょっとドキドキしていたのだ。そんなところに家に誘われては、知らずつい顔が赤くなってしまう。
いやいや、ただ海水を被って濡れてしまったから、シャワーを借りて服を乾かすだけ。それだけ。
そう自分に言い聞かせ、平静を保つ。
「はい、では……すみませんがお邪魔します」
「ああ、家には電話しとけよ。弟たちが心配するからな」
「そうですな。後で連絡しておきます」
一方で鶴丸もまた、少々あせっていた。
(酔った勢いで、つい誘ってしまった……けどまあ濡れて困ってるし自分の家だし、大丈夫……だろう。うん)
そう思ってなるべく冷静を装うことにする。が、先ほど転んだときに一期が圧し掛かるような体勢となって、一瞬だけ唇同士がくっついたような気がして、ついついぼうっと見上げてしまったことを思い出す。
(だ、ダメだ! 忘れろ! あれは事故だから!)
だいたい、一期は何事もなかったかのような態度なのだ。鶴丸だけが変に意識してもおかしいだろう。きっと、あれはなんだかわからなかったに違いない。その後すぐに波を被ったし、思い出さないようにすれば大丈夫……多分。
鶴丸は心の中で一人慌てながらも、表面上は平静を装っていた。ドキドキと高鳴る鼓動を、どうか気づかれませんようにと祈りながら。
海岸沿いを歩いて、途中で坂道を上り、商店街へと出る。鶴丸の働く喫茶店の上が住居になっているので、店の横にある細い階段を上がって行く。
「狭くて片付いてないけど、どうぞ……あ、と」
「お邪魔します。それは?」
締め切っていたため、籠もった熱気を体で感じる。先に部屋へ入った鶴丸が、リビングのテーブルの上に置かれた本を慌てて片付け、どこかに仕舞っていた。
「ああ、なんでもないんだ。いま、エアコン入れるから」
ばたばたと慌てた様子になんとなく気になりながらも、他人の家の中を詮索するわけにもいかず、一期はお邪魔しますと言いつつ部屋へあがった。とはいえ、濡れているので座るわけにもいかない。
「いち、そのまま左に進むと風呂場だから、まずシャワーかな。脱いだ服は洗濯カゴに入れてくれれば、洗って乾燥かけちゃうから」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
小さめのタオルを借りて足を拭い、そのまま風呂場へと直行する。脱衣場で濡れて脱ぎ難くなっている服を、まずは上だけ脱いだところで、鶴丸が顔を出す。
「いちー、入るぞー。着替えこれでいい……」
「あ、はい、すみません。お借りしますね……鶴丸さん? どうかしました?」
Tシャツとハーフパンツを持って洗面所へ行くと、濡れたシャツを脱ぎかけている一期がいた。身長は変わらないのに身体の厚みは一期の方があって、綺麗に筋肉のついたその背中に、つい見惚れてしまう。
「あ、な、なんでもない。えっと、はいこれ。俺のだけど、まあ一時しのぎだから我慢しろな」
「はい。ありがとうございます。お借りしますね」
「う、うん。あの、シャワー、浴びたほうがいいから。これ、バスタオル」
「あ、はい。じゃあ、お言葉に甘えて」
そのまま寝室へ行き、自分もタオルを出して濡れた服を脱いで体を拭き、部屋着に着替える。そうして服を持って脱衣場へ行くと、風呂場からはシャワーの音が響いていた。そのまま自分の服と一緒に、一期の服を洗濯してしまおうと、洗いカゴに入った一期のシャツを取り出す。自分の服を洗濯機に放り込み、次いで一期の服入れようとして、つい。
つい手がシャツを拡げて、ついそのまま羽織ってしまった。
――出来心だったのだ。そんなにサイズが違うだろうかとか、一期の匂いがついたシャツに包まれたらどうなんだろうとか。あ、でも濡れてんだっけな、まあいいか。
酔いの欠片がまだ残っていたせいもあるかもしれない。と、その時ガラリと風呂場の戸が開いて一期が顔を出した。
「鶴丸さん、そこにいます? すみませんがシャンプーが切れて……」
「うわっ!」
予想外のことに思わず固まる鶴丸を、一期がしばし見つめて……口を開いた。
「あのう、それ、私のシャツ、ですよね?」
「え、あ、あの、こ、これはなんでもっ! ないからっ!」
咄嗟に頭が回らず、驚きで顔も赤くなっていて、あわあわと言い訳にもならないことしか口にできない。ど、どうしよう! あせった視界に一期の裸体までもが入り込み、ますます何も考えられなくなる。
「ま、まずシャワー! 浴びてこい!」
「あ、そうですな。すみません」
とりあえず一期にシャンプーを渡して風呂場に戻らせ、洗濯を仕掛けてリビングに戻ってへたり込んだ。
やばい。
まずい。
なんと言って言い訳をすればいいだろうか。ちょっとサイズが気になって? とか。いやいや不自然か? ええと、このシャツ似あうかなって……無理だな。ただの白いシャツだし。
鶴丸が頭を抱えている間に、一期が風呂から出てきて声をかけた。
「お先に入りました」
「あ、ああ……って、なんで裸……っ!?」
「? 下は履いてますよ」
上半身裸でバスタオルを首にかけ、濡れた髪を拭きながらリビングに来た一期が、テーブルを挟んで鶴丸と斜向かいに座る。
そのまま二人とも黙り込んでしまい、しばし沈黙が落ちる。
「……あの、さっきの……」
「は、はいっ! ……あ、そうだあの、ケーキ! ケーキ食べないか? 店の残りですまないんだけど」
一期の問いかけに、びくりと体を強張らせた鶴丸は、ばたばたと台所に逃げ込み、冷蔵庫から今日店で残ったプラムケーキを取り出した。ついでにアイスティーでも入れようかと湯を沸かす。目の前の問題から少しでも長く逃げたい一心だったけど、毎日している手の動きが、鶴丸に落ち着きを取り戻してくれた。
ティーポットにハーブティーの茶葉を入れ、熱湯を注ぐ。蓋をしてしばし蒸らす間に、グラスに氷を入れた。クラッシュアイスではないが、まあ店じゃないから大目に見てもらおう。
ケーキを皿に乗せ、フォークを添える。そうしてポットのハーブティーをグラスに一気に注いだ。ふんわりと爽やかな香りが漂って、鶴丸は思わず笑顔になる。トレイに乗せてリビングへ運び、一期と自分の前に置く。
「お待たせ。ケーキセットになっちゃったけど」
そうぞ、と勧めれば、いただきますと律儀に手を合わせた一期が、早速ケーキを口に入れる。
「あ、これ先日の。美味しかったので嬉しいです」
「そ、そうか? そっちはハーブティーなんだけど、レモングラスをブレンドしてあるから、さっぱりしてると思う」
にこにこと美味しそうに食べてくれる一期を見ていたらなんだかすごく嬉しくなって、目の前の問題をすっかり忘れていた。が、その一期がずばり問いかけてきた。
「ところで鶴丸さん。どうして私のシャツを着てらしたんですか?」
「うっ! え、えっと、それはその……」
上手い言い訳を考え付かないまま口ごもる鶴丸に、一期が意外な事を告げる。
「正直、ぶかぶかのシャツを羽織った鶴丸さんに、ドキドキ、しました」
「……え? 一期?」
かちゃん、と音がしてフォークが置かれた気配がした。一期の視線を避けようと俯いていた鶴丸が顔を上げると、一期が鶴丸の視線を捉える。
「あの、ずっと前から好き、でした」
「……えっ? あの、好き、って……俺、男だけど」
ついつい間抜けな返答をしてしまうが、それすら気がつかないくらいに驚いて、一期の言葉を理解するまでに時間がかかった。
「知ってますよ、何回一緒にお風呂に入ったと思ってるんです?」
「あ、そっか……ええっ!? あの、ほんとう、に?」
信じられなくて再確認すると、さすがに真っ赤になった一期が今度は視線をそらし、本当です、と小さく呟く。
「おれ、俺、も、好き。あの、昔から……」
「え? 本当ですか?」
驚いたのか鶴丸の方を向いた一期と、鶴丸の視線が絡まる。どのくらいそうしていたのか、カランというグラス中の氷の音でお互い我に返る。
「あ、あの、じゃあ……俺たち両想い、ってこと? 付き合っちゃう? あ、でも遠距離になっちゃうな」
グラスに挿したストローをぐるぐると回して、鶴丸がそんな事を言うと、一期が真面目な顔をして、ずい、と鶴丸に近付いた。
「いまは……近いですよ」
「え……っ、んんっ!」
一期に手首を掴まれたかと思うとそのまま腰を抱かれ、あっという間にぐい、と引き寄せられる。一期の顔が近いなあ、と思ったとたん、唇がやわらかいもので塞がれた。それが一期の唇だと認識したとたん、触れ合った部分がひどく熱く感じて、心臓はバクバクとしっぱなしだ。
歯列の間からは熱く湿った舌が侵入し、鶴丸の上顎をざりざりと撫で、背中にぞくぞくと震えが走る。舌と舌が絡まり、強く吸われて頭がくらくらとする。
「ん……ちゅ……」
「っ! き、きみ! そんなに手が早い奴だったのかっ!」
「あなた限定です」
「……なら、いい、けど……え、ちょ、ちょっと……い、いち、あの?」
唇が離れたところで酸素を取り込みつつ、でも抱きしめられたままで一期にそう告げれば、しれっとした顔で返答された。そんな風に返されたら、何も言えなくなってしまう。鶴丸は一期の胸に顔を寄せて、ぼそぼそと呟いた。
と、なんだか首筋にまた湿った感触がある。ちゅ、ちゅ、と一期の唇が鶴丸の白い首筋から鎖骨へと辿ってキスを落としていく。
「ん、なんですか?」
「ま、待て、って! あの、あの……こ、心の準備が……まだ……っ、ひゃっ!」
制止の声を上げるも一期の動きは止まる様子がなく、いつの間にやらたくし上げられたTシャツの下の胸元をぺろりと舐められて、思わず声を上げてしまった。
「しょっぱいですな」
「あっ! んんっ! ……だ、てっ……俺、まだ、シャワー……浴びてな……ひ、あんっ!」
「ン、美味しいです……」
「ばっ……か、も……何言って……ん、ン、ァ……や、ぁ……」
ぴちゃぴちゃと体中を舐められ、鶴丸は息が上がりっぱなしなのに、涼しい顔のままの一期がなんだか妙に憎らしい。
「鶴丸さん、可愛いです」
「なっ、かっ、わいくなんかっ……ふ、ぁ……やぁ……だめ、だ……」
一期の手が鶴丸の背を辿り、舌は胸を舐める。そのどちらの刺激も確実に鶴丸の体を昂ぶらせていき、たまらず零れる声はひどく甘く、これが自分の声だろうかと思ってしまうほどだ。
「ここ、大きくなってますね……」
「あ……っ、や、……だってっ、い、いちがあちこち……さ、さわっ、ひ、ぁ……っ!」
いつの間にか背後から抱きかかえられ、耳元で囁かれながらハーフパンツの上から中心を確かめられ、鶴丸の顔が更に羞恥で赤くなる。一期の手が、薄い夏の部屋着と下着をあっさりと掻い潜り、昂ぶりかけた鶴丸の陰茎を握る。先から滲んだ蜜ごとくるくると先端を撫でられ、幹を握って扱かれれば更に息が上がってしまう。
「私の手で……感じてくれたんですね? それは嬉しいです」
「あっ! んんっ……ん、いち……あ、あたって……」
抱え込まれて身動きが取れない上に、一期の手は止まる様子もなく鶴丸を更に昂ぶらせていく。呼吸は荒くなり、恥ずかしいのと気持ちがいいのとで、もうなんだかわからなくなる。おまけに尻の間に何か硬いモノが当たるのだが、それが一期の猛った陰茎だと気が付けば、ズクリと腰に痺れが走った。
「ええ、鶴丸さんを触っていたら私もこんなに……ふふ、鶴丸さんも大きくなりましたね?」
「んっ、も、もっ! き、きみ、そんなにえっちだったのか……っ!?」
一期が大学進学で上京するまで、ほぼ毎日のように一緒にいたのに、こんな一面があるなんて知らなかった。そりゃあ、多少の下ネタは話題にしていたけれど、そういえば一期はその話題になるとあまり会話に参加していなかったかもしれない。
そんな昔のことを思い出しつつも、体はどんどん快楽を感じて熱くなり、昂ぶった中心はすでに達してしまいそうで、先端からはとろとろと蜜が溢れ出している。
「ええ……自分でも驚いています。ねえ、鶴丸さん……触って、ください。ホラ……」
「えっ……あ、や、あのっ……」
ぼんやりとした頭で快楽のみに支配されそうな鶴丸の体を、一期がひょい、と起こして向き合う形になる。そうして鶴丸の手を取り、自身の下半身へと導く。ハーフパンツの下でもはっきりとわかるくらいに勃ちあがった一期の欲望に触れて、鶴丸は思わずこくりと喉を鳴らした。ひどく熱く感じるそれが、不思議と嫌ではなかった。
「あの、これ、ど、どうし、よう……」
「一緒に気持ちよく……なりましょうか?」
一期が欲望を滲ませた目でそんな事を言う。その真っ直ぐな琥珀色の目が見知らぬ人のようで、鶴丸はほんの少しだけ怖くなる。
「あ、あの…シャ、シャワー! まだ浴びてない、から、その……」
「ああそうですな。では入りましょうか、洗って差し上げますよ」
「……ん?」
一期の言葉につい首を傾げると、目の前の幼馴染はにっこりと笑った。そりゃあもう、憎らしいほど爽やかに。
「あ……っ、は、ぁ……っ」
「ん、まだ指、しょっぱいですな……」
「なっ、そ、なとこ……な、舐める、な……んっ!」
空のバスタブに成人した男二人で入ると、さすがに狭い。密着してしまえば入れないことはないが、幼児の頃でもないのにそんな状況になるとは思ってもいなかった。が、現在そんな状況の一期と鶴丸だ。
風呂場に連れ込まれ、シャワーを掛けられあっという間に全身泡だらけにされ、ついでにまた一期にあちこち触られつつも、一応は体がさっぱりした。が、なぜか一期が鶴丸の手を取り、指を口に含んでまるで味わうようにちゅくちゅくと吸い、ぺろりと舐める。
狭いバスタブで向き合って座り、鶴丸の指を美味しそうに舐めしゃぶる一期を見ていると、シャワーのせいだけでなく顔が赤くなるのがわかる。指に絡む唇や隙間から覗く舌がやけに艶かしくて、指先からはぞくぞくとした刺激を感じて、鶴丸はもう快楽以外に何も考えられなくなっていく。
「じゃあ、こちらにしましょうか?」
「っ! うあ、っ……あ、やだ……っ!」
ついさっき、部屋でも一期の愛撫を受けた体は正直に快楽を拾い、中心はすぐに快楽を感じてすっかり勃ちあがっている。先端からはとろとろと蜜が零れ、幹を伝う。それを一期の手で握られれば、それだけでもう達してしまいそうになる。
ふと見れば一期の中心もまた昂ぶりを見せていて、鶴丸はつい手を伸ばす。触れればひどく熱く感じるそれを、愛おし気に優しく撫でれば、お互いの荒い呼吸が風呂場に満ちて、くちゅくちゅという淫らな水音と共に、甘い声も一緒に零れた。
「んっ、ああ……気持ち、いいです……ん……鶴丸さん、は?」
「は、んんっ……ぁ、いい、っ……んっ……あ、は、っ……も、も、で、ちゃっ……」
「ふふ、じゃあ、一緒に……ほら……」
「う、ああっ! やっ、だめ……ぁ……」
にこりと笑んだ一期が自身と鶴丸の猛りを纏めて握り、愛撫を施す。その刺激にたまらず鶴丸が欲望を吐き出すと、次いで一期もどぷりと欲望を吐き出す。お互いの手だの腹だのに白濁が飛び散り、さすがに恥ずかしい。
だけどなんだかひどく嬉しくもあって、お互いの体を抱きしめたまま、しばらく浴槽に座り込んでじんわりと熱を交換していた。
「鶴ちゃん、なんだかご機嫌だねえ」
「え、そうかい?」
常連の一人である土産物屋の隠居にそう声を掛けられ、鶴丸はきょとんとして返事をした。そんなに、にこにこしていただろうか。普通、だと思っていたのだけど。
長らく片想いを募らせていた幼馴染の粟田口一期と、実は両想いでした、ということが分かったのが昨夜である。そりゃあもう嬉しかったし、おまけに一期が早々にその、手を出してくるものだから、気が付いたら風呂場で触りっこまでしていたのだ。
初めての他人からの愛撫で、しかも好きな相手からとくれば、気持ち良くないわけがない。まあ最後――やはり挿入が最後だとして――まではしなかったとはいえ、好きな相手とそういった行為をすることが、あんなに幸せを感じるものだとは!
「ホラ、なんか楽しそうだよ。いい人でもできたかい?」
「えっ、っと。そ、そんなに顔に出てる、かな? あ、ホットサンドお待たせしました」
隠居のオーダーしたハムチーズのホットサンドをテーブルに置き、そう問いかければ隠居はにこにこと笑いながら、そりゃあ長いつきあいだからわかるよ、などと言う。そういえば一期と一緒で、産まれた頃からの付き合いなのだからそれは仕方ないかもしれないが。
「それよりホラ、今週末は祭りだろ。じいちゃん、御神輿見物するの?」
「もちろんさ、あれを見ないと祭りの意味がないだろう」
そういって笑う隠居がまだまだ長生きしてくれそうで、鶴丸はくすりと笑いながらごゆっくり、と言って厨房に引っ込んだ。ああでも、祭りが終われば一期はまた彼の日常に戻っていってしまうのだ。
(……その前に、話をしないと……)
鶴丸は厨房の引き出しを開け、仕舞いこんであるスマートフォンと、一通の封書をしばし眺め……ほんの少しだけため息をついた。
「いち兄、なんだかにこにこしてるね」
「なんかいい事でもあったの?」
「え、そうかな?」
実家で弟たちの宿題に付き合っている最中、突然そう問いかけられ、そんなに笑っていただろうかとつい頬を撫でる。幼馴染の鶴丸と、お互い恋心を抱いていたことがわかったのが昨夜のことだから、そりゃあ良いことがあったと言える。が、そこまで顔に出ていた自覚がなくて、一期はつい弟たちに問い返してしまう。
「そうだよー、なんかにこにこっていうか……にやにや?」
「えっと、あの、久しぶりにお友達に会ったから、楽しかったなあ、って思い出してしまうのかな」
「あ、同窓会昨日だったよね。いいなあ、楽しそうー」
そんな弟の言葉に、また別の笑顔が浮ぶ。同窓会を楽しいと感じるには、一番下の弟はまだ少々幼いだろうと思うのだが、一人前にそんなことを言うようになったんだなあ、とついしみじみとしてしまう。
「ほらほら、それより宿題を終わらせないと、午後はプールに行くんだろう?」
「あっ、そうだった! えっとね、ここがわかんないの! いち兄、教えて」
「あ、僕、この漢字がわからない」
夏休みということもあって、実家では毎日小学生が賑やかだ。中学、高校ともなると部活があったり、友だちと出かけたりですれ違うことも多いのだが、小学生はこれ幸いと兄を頼って宿題を片付けることにしたらしい。
一期も滅多に帰省ができないので、こんな時くらいはつきあってあげないと、とこうして一緒に勉強タイムとなっているのである。午後は市営プールに行く予定なので、今日は鶴丸の顔は見られないだろうか。明日にでもまた、店に顔を出してみよう……そんな事を考えていたら、またしても弟ににこにこしている、と指摘されてしまったのだった。
次の日も、日中はやはり弟たちの宿題を見てやってから映画に連れて行き、子ども向けの娯楽作品を一緒に鑑賞した。一旦家に戻ってから、この時間なら空いているだろうかと鶴丸の店に電話をかける。
「ありがとうございます。喫茶グリーンでございます」
「あの、粟田口ですが、いま、大丈夫ですか?」
「あ、うん、ちょっとだけなら……」
どうやらそれなりに客がいたらしい。邪魔をしては申し訳ないので、掛けなおしたほうがいいだろうか。
「あの、いえ、特に用事というわけでは……また後で」
「あっ! あの、もし良かったら、夕飯食べがてら、その……店にこないかい? 俺も、ちょっと話したいことあるし」
電話を切ろうとしたら鶴丸から誘いを受けて、途端に会いたい気持ちが強くなってしまう。なにしろつい一昨日、お互い想いあっていたことを確認したばかりなのだ。本当ならずっと側にいたいくらいなのだが、さすがに鶴丸には店があるのでそれは無理な願いで。
「あ、はい。あの、伺います」
「ん、じゃあ待ってる」
一期は電話を切ると、我ながらうきうきとした気分で出かける支度を始めた。
訪れた夕食時の喫茶店はそれなりに賑わっていて、一期は空いているカウンター席に座り、遠慮がちにパスタをオーダーした。忙しいのに申し訳ないと言うと、鶴丸は笑って気にするなと答えた。
一人きりで店内を切り盛りする鶴丸を眺めながら、一期はゆっくりとパスタを食べ、持参した図書を読みつつ閉店を待った。一期以外の客が帰った後、閉店作業をする鶴丸を手伝いながら、いろいろな話をした。大学のことを聞かれると、つい帰らなければいけないことを思い出して寂しくなったが、お互いそこには触れなかった。
そうして店を閉め、鶴丸の住居へと階段を登る。玄関を開けた鶴丸に続いて一期も入り、ドアを閉めたとたん背後から鶴丸を抱きしめた。
「こら……落ち着けって……んん……」
「すみません、我慢が……できなくて……ん……」
二人して玄関先から抱き合ってキスを交わす。日中の熱気が籠もった部屋はひどく暑くて、すぐにじわりと汗が浮ぶが、そんな事も気にならないほど、性急に抱き合い求め合いたかった。
一期はもうあと数日で帰らなければいけないこととか、鶴丸はスマートフォンを内緒にしていたこととか、話さなければいけないことはあったのに、恋人を目の前にしたらそんなことを忘れてただ夢中で抱き合い触りあい、お互いの熱を交換し合って、狭いベッドでくっついて眠った。
翌朝、ばたばたという音で目が覚めた一期の隣に、鶴丸はいなかった。慌てて起きると鶴丸もひどく慌てていて、ちょうど出かけるところだった。
「あ、いち! ごめん、寝坊したんで先に出るな。あ、これ鍵だから、店に来たときに返して」
「あ、はい。あの、すみませんつい……」
「いやいや、目覚ましかけ忘れただけ! それだけ!」
心なしか頬を赤くした鶴丸が、後でモーニング食べに来いな、と言ってばたばたと出かけていくと、主のいない部屋が急にしんとした。一期は昨夜の鶴丸の白くて細い体だの、涙を滲ませつつも甘い声を上げて一期にしがみついてきた事だのを思い出して、一人ニヤつく口元を押さえながら身支度を整えた。
玄関を出て鍵をかけ、階段を下りたところでちょうど獅子王に遭遇した。どうやら配達に来たところらしい。
「あれ、一期? なんでいるんだ?」
「ええと、昨夜泊めてもらったので……配達、ですか?」
別に友だち同士なのだから不自然ではないだろうと、事実を伝える。と、獅子王の口から意外なことを聞いて、一期は思わず聞き返してしまった。
「あー、そういやお前ら昔っから仲良かったよなあ。あれ、でも一期、LINEのグループに入ってないよな?」
「あの、鶴丸さん、スマートフォン持ってるんですか?」
確か、持っていないと聞いていたのだけど、どういうことなのだろうか。
「え、鶴丸スマホ持ってるだろ。だってホラ……連絡先」
ほれ、と獅子王が、自分のスマートフォンの画面を見せてくれる。そこには確かに鶴丸と名前がある。
「えっ……本当に?」
「うん、かけてみるか?ああ、今は仕事中か。えっとLINEもあるけど」
ときどき仕事でも使ってるぜ、という獅子王の言葉が耳に入るが頭を通過して行く。じゃあなぜ。なぜ鶴丸は、一期に携帯は持っていないなどと言ったのか。
嘘を付かれた? 隠したかった? 疑問と疑惑が頭の中をぐるぐると回っている。
「そう、ですか……」
「あれ? 聞いてなかったか?」
首を傾げる獅子王に、ええ、とかいえとか、適当に相槌を打っていたと思う。混乱した一期は、鶴丸の家の鍵を取り出し、獅子王に押し付ける。
「あのこれ、鶴丸さんの家の鍵です。すみませんが、渡しておいていただけますか」
「あ、ああ。いいけど……」
「それじゃ」
何か問いたげな獅子王を気にする余裕もなく、一期はただひたすら実家を目指した。まずは、落ち着かないと。そう思いながらも、気持ちがずるずると暗くなっていくのを止められなかった。
(いち、こなかったなぁ……なんかあったのかな?)
気になりつつも、その日は客が途切れることがなく、電話もできなかった。さらに珍しく夕方からは常になく混雑して、鶴丸は少々あせっていた。
お客様はそりゃあ嬉しいけれど、こうも立て込むとさすがに一人では手が足りない。そろそろ獅子王にヘルプの電話をするかどうしようか、というタイミングで、ちょうど光忠が顔を出した。
手にアレンジメントを持っていた彼は、瞬時に状況を把握するとレジ横にアレンジメントを置くなり厨房へと近付く。
「鶴さん、手伝うよ。僕今日はもうここ最後だから」
「そうか? すまない、助かる」
鶴丸に声をかけると慣れた様子でエプロンを取り出し、シンクに溜まった洗い物を片付け始めた。
「オーダー待ちは?」
「3番と7番だ。あとは調理中」
「ん、わかった」
オーダーを光忠に任せ、しばし頭を空っぽにしてひたすら手を動かす。パスタにホットサンド、変わったところでは海鮮丼。次々と入るオーダーをひたすら作って行くと、手元は勝手に動いているのに意識だけが店内隅々まで見通せるようになる。
1番さんでお冷がなくなったな、とか、10番さんはそろそろ帰るのかな、とか。それに合わせて自分で動いたり、光忠に指示をしたりとしているうち、いつの間にか閉店時間になっていた。さすがに客も最後の一人が帰った後で、とたんに疲れがどっと体に押し寄せて、鶴丸はついカウンターのスツールに座り込みそうになる。
が、まだ片づけが終わっていない。店の看板を中に入れてドアにクローズの札を出す。そうして洗い物を片付けてしまわなければと、厨房へ行こうとしたところで電話が鳴った。
「はい、喫茶グリーンでございます」
「あの、粟田口、です。こんな時間にすみません」
誰だろうと思いつつ電話に出れば、一期からだった。そうだ、まだ一期にはスマートフォンを持っていることすら伝えそびれていたのだった。朝も配達に来た獅子王に鍵を渡され、そのまま実家に帰ったらしい一期をどうしたのだろうと気にしてはいたが、連絡する間もなかった。
「大丈夫、ちょうど店閉めたとこだし。どうしたんだ?」
「今夜、ご自宅の方にお伺いしてもよろしいでしょうか? 連日で申し訳ないのですが」
「もちろんかまわないけど、あと一時間くらい後でもいいかい? 後片付けしたら上に行くから」
「はい、わかりました」
なんとなく元気のない声だったけど、大丈夫だろうか。暑いから夏バテとかかな?そんなことを考えながら、まだ手伝ってくれている光忠と手分けして客席の掃除をし、食器類の洗い物をせっせと片付ける。一期に会えると思うと早く片付けねばと焦ってしまって、慌てて洗剤の泡を派手に飛び散らせてしまった。
「あー、しまった……ああもう、ダメだな。落ち着かないと」
「どうしたの、鶴さん、大丈夫? ……あ、ちょっとちょっと」
光忠に声を掛けられ、なんだろうと振り向いたところで屈み込んできた光忠の顔が近付き、鶴丸の目元を指で拭う。
「んん、なんだ?」
「泡、ついてたよ。目に入らないように、気をつけないとね」
「あ、すまない。ありがとう……光忠?」
どういたしまして、と笑う光忠がいつまでもそのままなので、どうかしたのかと思ってしまう。
「ふふ、なんだかキスしちゃいそうな近さだよねえ」
「またきみは……何を言ってるんだか」
にこにことそんな事を言う光忠だが、彼はいつもこんな風に鶴丸をからかうのだ。だが、今は冗談を真に受けている暇はない。ああ、それよりも今日の礼をしなければいけないなと気が付いた。ときどき手伝ってくれてはいるけれども、今日は本当にイレギュラーだった。
「光忠、今日の分の礼はまた今度でいいかい? ちょっとこの後、客が来るんだ」
「もちろん、かまわないよ。あ、もしかして……あの空色の髪の彼?」
「へ、な、なんでわかるんだ!?」
「あはは、やっぱり。だって鶴丸さん、ときどき写真見てたでしょ? すぐわかったよ」
にっこりと悪気なく笑う光忠に、そんなことまで指摘されてつい顔が赤くなる。うう、しまったバレてたか……。
「あの、幼馴染で……いま帰省中なんだ」
「ふうん、仲が良いんだねえ。ちょっとうらやましいな」
さすがに……恋仲になったとまでは言えないけれど、早いとこ片付けて上の住居に行きたいのは事実だ。鶴丸は洗った食器を手早く拭いて棚に仕舞うと、エプロンを外した。
「今日はほんと、ありがとうな」
「忙しいときはお互い様でしょ、今度デートしてくれたらそれでいいよ」
「またそんな……そういうのは女性に言え、女性に」
「ええー、けっこう本気なんだけどなあ」
妙に色気のある光忠に言われると、本気にする女性が多そうだなあと思う。さすがに鶴丸に対しては冗談なのだろうが、どこまでが本気かがよくわからない男だ。
ただ、年代も近いしよく気が付くし、彼の店だって商店街の評判はそこそこ良いのだ。鶴丸も好印象を抱いてはいる。が、それは恋心とはまったく別のものだ。
「じゃあまた、暗いから坂道気をつけて」
「鶴丸さんもね。ゆっくり休むんだよ」
店を閉め、そんな会話を交わして住居への階段を登ると、玄関前で一期がぼんやりと立っていた。
「いち、ごめん、待ったか?」
「いえ、そうでもないです」
慌てて玄関の鍵を開けて、中へと入る。
「どうぞあがってくれ。うわー、夜になっても暑いなあ。いち、なにか飲むかい?」
「……お邪魔します。あの、おかまいなく」
締め切っていた室内に籠もった熱気が体に纏わりつき、たちまち汗が滲む。エアコンのスイッチを入れた鶴丸は、ばたばたと灯りを付けつつ一期に問いかける。そうだ、風呂も入れておこうかと給湯器のスイッチを押す。
「あの、鶴丸さん」
「あ、すまん。えっと、なんか用事だったか? あ、今朝、そのまま帰ったのかい?」
所在なげにぼんやりと座る一期に声をかけると、顔をあげて鶴丸の方を向いた一期の顔が、なんだか思いつめたようでドキリとした。
「あー、あの、いち。実は、その……」
「鶴丸さん、スマートフォン持ってたんですね」
「えっ? あの、どうして知って……」
正に今、伝えなければと思っていたことを一期の口から聞いて、鶴丸は驚いてしばし固まってしまった。
「なぜ、隠していたのですか? 私には教えたくない、ということでしょうか」
「ちがっ、そうじゃない! そうじゃ、ないんだけど、その……」
「では、花屋の彼が本命?」
「なっ!? 光忠とはただの友達だ! なんでそん……っ!んんんっ……」
なんでそうなるんだ、いや、その前になんでスマホの事を知っているんだろうと、混乱した鶴丸の手首を掴んだ一期が、その体をぐい、と引き寄せ強引にキスをする。
「ま、待てっ! 一期、はっ、なしをっ! ……んうっ……!」
「私に話す気など、ないくせに……っ」
なぜかそう決め付けた一期の方が、泣き出しそうな顔で再び鶴丸の唇を塞ぐ。
「んんっ……んーーーーっ!」
「ん……ふぁ……ん……」
強引に歯列を割り、舌を入れて鶴丸のそれを絡め取り強く吸う。ちゅくちゅくと音を立てて何度も繰り返せば、やがて鶴丸の体から力が抜けてくたりとしゃがみ込む。
「い、いちご……頼むから……は、なしを……んあっ!」
「スマホもLINEも隠していて、今更なにを? 私は……しょせんその程度の存在だったと、そういうことでしょう?」
苦しげにそう告げた一期が、鶴丸の手首を床に縫い止め、噛み付くようなキスをする。いや、実際がり、と口端に噛み付かれ、ちくりと痛みが走る。
「いった……んっ、は、あ……っ」
「あなたはいつだってそうだ。誰とでも楽しそうにして、私には季節の便りだけで……電話だってほとんどない。本当は……私のことなどなんとも思ってないんじゃないですか?」
「そ、なこと……な……っ……あっ!」
「だったらなぜ……っ! あんな、あんなに親しげに……キスまで、して……」
「し、してない……! キスなんてっ……あ、や、ぁっ……」
快楽を感じるか体は昂ぶっていくけれど、逆に心はとあせるばかりで、ロクに喋ることもできない。キスってなんだ?そんなこと、一期以外の人となんか、したことないのに。
何か誤解があるのは確かだけれど、鶴丸の制止も否定も聞く耳を持たない一期が、少し怖い。逃げたい。
だけど……なせだか泣き出す直前の顔をしている一期を放ってはおけなくて。ああそうだ、小さい頃に二人きりで遠出をして、迷子になったときだ。泣き出してしまった一期の手を握り、頭を撫でて慰めた事を、こんな時に思い出す。
ふと、抵抗していた体の力を抜き、圧し掛かられたままの体勢で、一期の目を真っ直ぐに見つめる。
「鶴丸さん……?」
「いち、あの、スマホ黙ってたのはほんとにごめん。でも……いちをからかったりとか、光忠とつきあったりは本当にないから……だから……気が済むなら……あの……っんっ!」
「なんで……なんでそうなんですか?あなたはいつだってそうだ……私が無理を言っているのにいつも笑顔で……っ!」
くしゃり、と顔を歪めた一期が苦しそうに言葉を紡ぎ、また鶴丸の首筋へと唇を落とした。そうしてときどき強く吸い、痕をつけながら下へと降りた唇が、やがて鶴丸の鎖骨を食み、そこにも痕を付ける。
「鶴丸さん……好きです……っ! 誰にも……渡したくないんです……!」
「あ、い、いち、いち……っ! あ、や、やあ……っ!」
乱暴に肌蹴られたシャツの間を舌が辿っていき、くすぐったさに思わず一期の頭を抱える。だが、性急な愛撫はそのまま下へと移動して、やがて鶴丸の中心へと辿り着く。
「ん……っ、や、ヤダ……っ!」
「こんなにしてるくせに……」
一期の手が、昂ぶりかけている鶴丸の中心を触る。だって、ずっと好きだった一期に触られているのだ、それが例え予想外のことだったとしても、我慢なんてできるわけがない。でも、昨日までと違う強引な愛撫が、少し怖い。
「やっと、手に入れたと思ったのに……」
「い、ち……っ、んんっ……や、……っ、う、ぁ……」
ふっと愛撫の手が止まり、カチャカチャと音がして一期の手がベルトのバックルにかかる。黒い綿のパンツのボタンが外され、ファスナーが下ろされる頃には、鶴丸は抵抗する気がなくなっていた。
「腰、上げてください」
「……っ、う……」
低く囁かれ、言葉通りに腰を浮かせれば下肢の着衣が剥ぎ取られ、ゆるりと勃ちあがった陰茎が露わにされる。ふるりと震えたそれは、この先の愛撫を期待しているせいなのか、それとも羞恥か。
「ほら、もう溢れてますよ。そんなに感じたんですか? それとも……本当は他にお相手がいるのですか?」
「なっ……い、いない、からっ……ひゃっ!」
一期の手が鶴丸の陰茎に絡み、先走りを塗り込めるように擦られる。
「んっ! あ、いち、っ! も、も、ダメ……っ!」
「どうぞ……出してください」
容赦のない手の動きに、鶴丸はあっさりと欲望を吐き出す。快楽を感じた体はくたりと横たわったまま、力が入らない。
「こちらも……疼いているんじゃないですか?」
「え……あ、やっ、なっ、どこ触って……っ、ああっ!」
鶴丸の吐き出した欲望を指に絡め、一期が後孔につぷりと指を入れる。狭いそこにぐ、と付き立てられた指が、内臓を圧迫するかのような錯覚をもたらして、鶴丸は思わず叫んでしまう。
「や、やだ、いち……う、いった……あ、っ……」
「狭いですな……」
お互い両想いだとわかってからも、まだ何も受け入れたことのない後孔は狭く、一期の指一本でさえ奥までは到達できないくらいだった。だが、そこに一期は容赦なく指を入れ、ぐにぐにと押し広げようとする。
「あ……っ、あ、む、むり、だっ……うあっ……あ、あぁ……ん」
「無理、ではないでしょう? ホラ、だんだんと……柔らかくなってきましたよ」
一期の指先がこりこりとした部分を探り当て、そこを何度も押すと鶴丸の体がびくびくと跳ねる。いつの間にか指は二本に増やされ、さらに前立腺を刺激されれば、鶴丸の陰茎もゆるりと勃ちあがって感じているのがわかる。
「も、や、あぁ……そこ、お、さないで……う、くっ……」
「どうして? 気持ちがよいでしょう……ほら前も……とろとろしてますよ」
「やっ! やだぁ……っ……んっ、んぁ……」
半端に脱がせた鶴丸の体に圧し掛かり、一期の手が前と後ろとを同時に責める。ぼろぼろと零れる涙が頬を伝うが、拭う余裕すらなくひたすらに喘ぎ声を上げる鶴丸が、愛しいはずなのに。
「鶴丸さん、入れますよ」
「え……っ、や、ヤダ! だめっ! う、あっ、あーーーーっ!」
「んっ……! せまい、ですな……くっ……」
指を抜いて鶴丸の両足を抱え上げ、後孔に猛った陰茎の先を擦りつけてから、一気に貫く。熱く狭いそこは一期の中心に絡みついて更に理性を奪っていく。
「んっ、つるまる、さんっ! 奥っ、届きましたよ……っ、ふふ、いやらしい、音ですね……」
「は、あっ! やぁっ……あ、あた、って……うあっ!」
ガツガツと貪るように、ただひたすら腰を動かす。じゅぷじゅぷとした水音と、ぱつぱつという肉のぶつかる音が室内に響き、二人分の荒い呼吸がそこに重なる。
だんだんと無言になって、汗だくになりながら獣のように腰を使い、一期は鶴丸の中に何度も果てた。繰り返し落としたキスは、どこか苦い味がした。
ジリリリ、という音で意識が浮上する。目覚ましをかけた覚えはなかったが、無意識にセットしたのかもしれない。鶴丸はぼんやりとした頭でそんな事を考えながら、ゆっくりと起き上がった。床にちらばった服と、べたべたとした体が昨夜のことを事実だと再認識させる。
「い、て……ああ、痣になってるかな……」
あんなに怖い顔をした一期は初めてで、思わず抵抗してしまったのが余計にいけなかったのだろう。手首にやや目立つ痣ができてしまっていた。まああれだけ強く押さえつけられたら、痕にもなるだろう。
「あー、長袖で隠れる、かな? っ……つ……」
噛まれた唇も痛い。鶴丸はゆっくりと立ち上がると、そろり、そろりと壁伝いに洗面所へと向かい、鏡を覗いた。唇の端が少し、傷になっている。が、まあたいした出血もしなかったようだし、舐めておけば治るだろう。
「う、わ……やべ……」
体中がぎしぎしと痛み、立っているのも正直辛い。さらに昨夜ナカへと放たれた一期の残滓が、歩いたことでトロリと腿へと伝う。
「あ、っつ……まずはシャワー、かな……」
だけど、それよりもっともっと、心の方が痛かった。そうと狙ったわけではないにしろ、一期を傷つけてしまった。そのことが、鶴丸をひどく動揺させていたし、悲しませてもいた。
一昨日の夜は、あんなに幸せだったのに……隠し事をしていた天罰だろうか。
「こんなはずじゃ……なかったのに、な……」
脱衣所に辿り着き、のろのろと部屋着を脱ぐ。風呂場に入って頭からシャワーを浴びれば、何もかも流れ落ちてさっぱりするかと思ったのに。なんだか余計に疲れてしまって、ちっともさっぱりしなかった。考えるのは一期のことばかりで。
会って顔を見て謝りたい。けどもうきっと、一期は鶴丸に会ってもくれないだろう。
ぐったりと重い体だけど、店は開けなければいけない。急に休んだりしたら、常連の隠居やおっちゃんおばちゃんの憩いの場がなくなってしまうし、近所の人たちが心配する。それに、観光客にも寄ってもらっているのだから、急に閉まっていたらがっかりさせてしまうだろう。
鶴丸は、あちこち痛む体を引き摺ってなんとか店に辿り着き、開店準備を始めた。住まいと店が近くて本当に良かったと、今日ばかりは感謝する。
店の掃除をいつもより時間をかけつつもなんとか終わらせ、ランチ用の仕込みをする。今日は地元の祭りがあるため、閉店時間をいつもより早めにするのだが、ティータームにはまだ開けているので、甘いものも一応作っておこうかと思う。
冷蔵庫の中にまだプラムが残っているのを見て、鶴丸はプラムケーキを作り始めた。いちが美味しいって言ってくれたからな……そう思ってすぐに、でももうここにはこないんじゃないだろうかと考え、一瞬手が止まる。
けれど、今日来てくれるお客さんが食べてくれればそれでいいと、気持ちを切り替えてケーキ作りに集中した。そうしてケーキが焼きあがる頃、カラン、とドアに付けたベルが鳴った。
「あ、すいませんまだ……。あ、いち……」
その音に顔を上げると、俯き加減の一期が立っていた。お互いなんとなく気まずくて、でも何か言わないといけないと口を開く。が、先に一期が声を出した。
「昨夜は、スミマセン、でした……無理やりしたことは謝ります。でも……」
「うん……でも?」
謝罪の言葉を口にした一期が、意を決したように顔を上げる。
「連絡先を、秘密にされていたことについては、まだ納得のいくお答えを聞いていないのですが」
「うん、ごめん。きみに嘘をつくとか、傷つけるつもりはなかったんだ」
「ではなぜ? なぜ教えていただけなかったのでしょうか」
当然の疑問を口にする一期に、鶴丸はつい俯き、上目使いに幼馴染の顔を伺う。
「う……言わなきゃ、ダメ、か、な?」
「そりゃあ……気になります。一応、恋人、になったのですから」
恋人、の言葉に嬉しくなりながらもついつい目を逸らしつつ、鶴丸は重い口を開いた。
「だ、って……へんじ、が……」
「は? 返事? って何のですか」
「だって! スマホとかLINEとか交換したら、絶対五分置きにチェックしたくなっちゃって! 返事こなかったら落ち込むし! そ、そんなんじゃ、仕事になんかならないし……でもいちの邪魔だって、したくないし……。大体そんな奴、ウザイだろ……ああなにいってんだろ、俺……ごめん……」
喋り出したら止まらなくなって一気に口を付いて出た言葉は、なんだかひどく自分勝手で女々しくて。そんな自分がイヤで、鶴丸はまた俯く。きっと一期は呆れた顔をしているに違いない。そう思うと、とても顔など上げられなかった。
「あのう……じゃあ、嫌いなわけではなく?」
一期の問いかけに、俯いたままの鶴丸が無言のままこくり、と頷く。
「からかったわけでも?」
再び鶴丸が無言でこくりと頷く。
「き、嫌いな相手に、その、あんなこと、させない、だろ……」
搾り出すようなか細い声で告げ、上目使いに一期を伺う鶴丸の蜂蜜色の瞳が揺れる。
……どうしよう。ものすごく、その……可愛い、のでは……。
一期はふいに湧き上がる衝動のままに、鶴丸に近付いてその体をぎゅう、と抱きしめた。
「い、いち!? あ、あの……」
「鶴丸さん……すっごく、その、可愛い、んですけど」
「へっ、あ、あああのっ!?」
真っ赤になった鶴丸を更にぎゅうっと抱きしめる。なんなんだもう、そんな事を考えて敢えて隠していたとか、二十四にもなった男の考えることなのだろうか。ちょっと可愛すぎやしないか!?
そんなことを考えて腕に力をこめたら、鶴丸が苦痛の声を上げた。
「い、ってぇ……」
「あっ、そ、その……すいません、昨夜は、その、つい……」
そうだ、昨夜は感情のままに何度も、その、抱いてしまった。しかも手加減などしなかった。鶴丸の体にさぞや負担をかけてしまっただろうと、朝になって反省をした一期が、謝らなければいけないと開店前の店に来たのだった。
「怒ってないから、ちょっと手伝え。俺は今日、機動力に欠ける。土曜だけど祭りだから、夕方には閉めちまうし、なんとかなるだろ」
「あっ、はい! もちろんです」
そう元気良く答える一期に、鶴丸が予備の黒いエプロンを渡す。するとまた、カランカランとベルが鳴った。
「鶴丸ー、昨日さあ、一期に連絡先……あ、一期」
「どうも。いらっしゃいませ、で、いいのかな?」
開店直後に店に現れた獅子王が、ドアを開けつつ賑やかに入ってくる。
「なんだよバイトかあ? あ、これ注文のジュースと調味料な」
「お手伝いを、ちょっとね」
鶴丸が礼を言って伝票にサインをしている間に、またドアが開いてベルの音が響く。
「鶴丸さーん、おはよう! 今日のお花はヒマワリをメインにしてみたよ。もうすっかり夏だよねえ!」
「ああ、おはよう、光忠。夏らしいな」
花屋の彼までやってきて、更に店内が賑やかになる。とはいえ、彼らは配達の途中ということで、長居せずにすぐ立ち去っていった。たちまち静まり返る開店前の店に、ふう、と鶴丸が一つ息を付く。
「……賑やか、ですな」
「なあに、朝だけさ。ヒマワリか、花言葉は……『あなただけを見つめる』だったかな」
「ほう……光忠さんには、いずれじっくりお話を伺いたいですなあ」
なにいってんだい、とカラリと笑った鶴丸がゆっくりと店の外に出てオープンの札を出し、隣に「本日十七時閉店」のお知らせも貼る。そうして店内に戻るとエプロンの紐を結びなおし、一期に笑いかけた。
「さて、今日はよろしくお願いします。十七時で閉店だから、片付けたら夜店でも見に行こうか」
「あの、お役に立てるかわかりませんが、こちらこそよろしくお願いします」
ガラスのドアから見える空と海はこれ以上ないくらいの綺麗な青色で、一期は胸の中もスッキリと晴れ渡ったように感じていた。
常連、一見とりまぜて、なかなか賑わった営業時間が終わって店を閉めてから、二人で歩いてまずは神社に参拝する。そこから夜店のある通りに戻って、祭りを楽しもうということになった。
「あ、りんご飴……もいいけど水あめもいいなあ、うーん」
「鶴丸さん、まだ食べるんですか? というか、お体は、その……平気ですか?」
「っ、だ、大丈夫だ……」
祭りの人ごみの中、はぐれないように体を寄せつつ二人して歩く。夜店を眺める鶴丸がひどく楽しそうで、一期も知らず笑顔になった。浴衣を着た人もちらほらと見かけるが、二人とも店を閉めてそのまま来たので普段着だ。
「あ、金魚! は、飼えないからなあ……」
「そうなのですか? うちの水槽に入れてもいいですけど」
「え、いちの家、金魚いたんだっけ?」
何年か前の祭りで、弟が掬ってきた金魚がいるのだ。すくすくと成長して、今ではすっかり朱色のフナ、といった感じではあるのだが、いたって元気に泳いでいる。
「そうだ。今日は花火もあがるけど、どうする? 見るなら穴場があるぞ」
「え、そうなのですか。久しぶりなので見てみたい気もしますけど、穴場なんてありましたっけ?」
はて、小さい頃から親しんでいる祭りなのだが、そういえば花火は自宅のベランダで眺めることが多かった気がする。海岸沿いはもちろん人で一杯になるくらい、祭りの重要なイベントだ。
「うん。崖の上だけどな」
「が、崖?」
「あ、ちゃんと道はあるぞ。獣道だけど」
鶴丸の言葉に、一期も興味が出てきた。一通り夜店をチェックしたあと、花火の開始時間までまだ余裕があるので、行ってみることにした。崖というだけあって、急な坂道を登り、息が上がる。だが、辿り着いた場所は確かに穴場で、少々遠いが海岸を見下ろす位置にある竹やぶの隙間、少し広場のようになった場所だった。
辿り着いた頃にはちょうど花火の打ち上げが始まったところで、ぱっと夜空に咲く花火の、その少し後にどーん、という重い音が響く。
「おー、綺麗に見えるなー。浜辺で見るよりはちょっと小さいけど、どうだい?」
鶴丸が、へへ、と笑って一期を振り返る。
「ええ、綺麗ですね……鶴丸さん、こっち」
「ん? んっ!?……ん、ん……ぁ、ん……も、な、なにするっ……」
花火も綺麗だったけれど、笑った鶴丸が可愛らしくて、ついその頬に手を添えてキスをすると、鶴丸の白い顔が真っ赤になった。
「鶴丸さんの方が綺麗で、見惚れてしまいました」
「ばっ……ばか! もう! 恥ずかしい事言うな!」
「素直な気持ちをお伝えしただけですよ」
そう言うと、鶴丸がふい、と顔を背けてしまう。そんな仕草がやっぱり可愛くて、頬にちゅ、っとキスをする。
「ちょっ……こ、ここ外! 外だから」
「わかってますよ……キスだけ、ですから……」
「うう、もう……いちの、意地悪……」
そう事を言いながらも、抱き寄せられた鶴丸は素直に目を閉じる。そんなところも可愛いなあ、と思いつつ、一期はもう一度、その唇にそっとキスをする。
ちゅ、ちゅ、と次第に深くなるキスに夢中になる二人の耳に、花火の音が遠くに聞こえていた。
一期が都内へ帰る日になった。鶴丸とは遠距離恋愛になってしまうが、スマートフォンの連絡先も教えてもらったことだし、会いたくなったらなんとかして帰省しようかと思っている。鶴丸ともいたって普通にじゃあまたな、と挨拶をして別れた。
来た時と同じ大きな旅行バッグと、母に持たされた土産が追加されてけっこうな大荷物になったが、それでもふらつくことなく駅のホームに向かう。
「いちー、ちょっと待って待って!」
「え、鶴丸さん?」
改札で声を掛けられ振り返ると、なぜか大きな荷物を持った鶴丸が手を振って駆け寄ってきた。はて、別れは昨日済ませたはずなのだが、どうしたのだろう。
「鶴丸さん? ご旅行……ですか?」
「ああ、うん実は……ちょっと一期の大学に……」
「はあっ?」
そう言って鶴丸が取り出した封書を見れば、それは確かに一期の通う大学名の入った封筒だ。驚いて足が止まる一期の手を、鶴丸が引っ張って行く。
「夏は集中講義があってさ。二週間ほど泊めてもらえないかな?」
えへへ、と笑いながらそう告げる鶴丸に、一期はただただ驚いてしまう。
「ちょ、まっ、あのっ!?」
「あ、電車来たぞ。乗ろうぜ、ほらほら」
押されるがままに電車に乗り込み、空席を探してひとまず荷物を置き、隣同士に座る。
「あのっ? 鶴丸さん?」
「あ、特製弁当作ってきたから! 一期の分これな! ほら」
「あ、ありがとう、ございます……ってちょっとあの、説明してくださいよ……」
ずい、と差し出された弁当を抱えると、がたんがたん、と揺れながら電車が動き出す。車窓から見える景色が段々と過ぎるスピードを増し、どんどんと流れるようになった頃、鶴丸がやっと口を開いた。
「実は……通信でずっと勉強、してて、さ」
「はい。あの、知りませんでした……驚きました」
「言ってなかったからな。それで、九月からは学生になる、っつっても学部の科目履修生だけどな」
「はい!?」
ああ、だから、以前鶴丸の家に行ったとき、慌てて隠していたのは教科書だったのかと思い出す。しかし、言ってくれてもよかったのではと、一期はほんの少し不満気な顔をしてしまう。
「あー、その。受かる気がぜんぜんしなかったし、落ちたら余計悲しいだろ……だから、さ」
合格するまでは言いたくなかったというわけか。それもわかるけれど、やっぱりちょっと寂しいと感じてしまう。まあ……スマホの連絡先も秘密にされていたから、そこは鶴丸らしいと言えるかもしれないが。
そんな一期の気持ちを感じたのか、鶴丸がふいと横を向いて呟く。
「……好きな人には、カッコつけたいだろ……」
え、と思わず顔を見れば、ほんのりと赤くなった頬が可愛らしい。などと言ったら怒られるだろうか。
「あっ、あと、集中ゼミの間にできれば不動産屋も回って、住むとこ決めないといけないんだよなあ」
「えっ、あの、店は? どうするんですか?」
さらに衝撃的なことを言われ、またしても驚く。ああもう、この人はどうしてこうビックリ箱なのか!
「ああ、本当の店長が戻ってきたからな。俺はお役ご免なんだ。ま、忙しいときは前と同じ助っ人はいるし、なんとかなんだろ」
元々店長代理だと聞いてはいたものの、何年も続けて来たのにいいのだろうか。そう問えば、首を捻りながらも鶴丸が答える。
「んー、でも、もともと店長が戻るまで、って約束だったからさ。ちょっと寂しいけど、いいんだ。帰省したらまた顔出せばいいしな」
「そういうものですか」
「それに……」
「それに? なんですか?」
気になって先を促せば、鶴丸が指先でちょいちょい、と耳を貸せと言う。素直に近付けば、こそっと耳打ちされた言葉が一期の胸をドキリとさせる。
「いちの側に、行きたかったからな」
「えっ!?」
驚いて鶴丸の顔を見れば、くすくすと悪戯っぽく笑い返される。その顔を見たら、なんだかもう驚いても仕方がない気になってきて。
「あの、そろそろ秘密主義は返上してくださいね?」
「んんー? スリルがあっていいだろ?」
ニヤリと笑ってそう返す鶴丸に、一期もふう、とひとつため息をついて返答する。
「わかりました……では一緒に暮らしましょうか」
「へっ?」
「だったらお互い隠し事も少なくなりますね?」
今度は一期がにっこりと笑い、鶴丸の顔を伺う。
「あの……一期さん?」
「家賃は折半で、個室も必要ですな。広めのアパートを探しましょうか」
「……本気かい?」
本気ですよ? と笑顔で返せば、なぜか拗ねたような顔の鶴丸が目に入って、ついついくすりと笑ってしまった。
がたんごとんと心地よい振動に揺られ、鶴丸特製だという弁当を食べる。この電車が目的地に到着する頃には、鶴丸の機嫌も直っていることだろう。そうだ、途中で住宅情報誌を買わなければ。その前にまずは布団だろうか。
これからやらなければいけない事を考えつつ、そっと隣に座る幼馴染兼恋人の顔を見て、一期はまた笑顔になったのだった。