top of page

H.ときのこえ

 

廊下を足早に歩くのは、五条が一振り鶴丸国永。

その足取りは非常に重たい。

表情は眉間の皺が色濃く残り、彼が審神者から賜った言葉がとてつもなく重かったことが伺えた。

そのおかげか、通りすがりの誰からも声すらかけられず、一直線に向かった自室にこもった彼は本体である刀を定位置である刀掛けへやや乱暴にかけると、どすりと畳の上に座り込んだ。

 

「…っ、」

 

苦し気に押し出された声に慌てて口を手で押さえる。

廊下は、遠いとはいえまだ人の気配を伝えてきており、そも廊下に面したこの部屋の音など誰が聞いているとも知れないのだから、注意するに越したことはないのだ。

 

ちらりと視線を這わし、部屋の障子はちゃんとぴっちり閉めていたことを確認する。

夏場午後、空調をきかせもせずに閉じ切っていた南西角の部屋は、ここが地獄かと言わんばかりに重苦しく熱せられているのだが、そんな場所に位置する部屋をわざわざ訪問する酔狂は、今の時間帯にいやしないだろう。

それでも、周辺の気配を探るのだけはやめらなかった。

誰もいないことを確認すること数拍、空調を入れることもしない烈火とも言うべき室内に在れば、こめかみを伝い顎から滴り落ちる汗がたたんと音を立てて袴に落ちた。

 

ほっと息を吐いて、床に倒れ込む。

どんな仕組みだかからくりだかわからないが、部屋に刀剣の気配があるなしで空調が切り替わるらしく、唸るような駆動音が聞こえてきたかと思うと、ようやく涼しげな風が上から降ってきた。

これで、多少声を漏らしたとしても自分の声もそこまで聞きとがめられまい。

だから、少しばかり、どうしても、漏れる音は許してほしい。

 

(やったあああああああ!!!)

 

諸手を上げて床に倒れ込み、それでも声は可能な限り漏らさず。

先程主に呼ばれていたのは、明日の遠征の予定を伝えてもらうためだ。

しかも、隊編成は鶴丸と一期一振のみという、とても特殊なものだった。

 

ばたばたと動かす足と手のせいで部屋に埃は浮き立つものの、それすら気にならない様子で鶴丸は喜びに打ち震えていた。

つい先程までの厳しい表情は霞と消え去り、浮かぶ表情は………それはもう歓喜に満ち満ちていて、まさに喜色満面といったところ。

そうなった原因は、どうもこうも心の中を占める一人の刀剣が遠征相手の一期一振のせいだったりするのだ。

 

鶴丸国永と一期一振は、いわゆる恋仲と言われる間柄だ。

御剣庫にいる時からなのだから云百年単位も経ているからこそ相手の言うこともなんとなくわかるのかもしれないが……それにもまして、もはや欠点と言われるくらい鶴丸は見栄っ張りだった。

付き合いのある別本丸は皆、口をそろえたように一期一振の方が見栄っ張りだなんて言われて、この本丸の刀剣が目を見開いてびっくりするくらいには……鶴丸の方が年上であることや実戦経験の豊富さから、一期一振に対して余裕をとにかく持ちたがっていた。

一言で言うなれば、無駄な年上のプライド、というやつである。

そんな二人の関係性が、大きく変わった出来事がひと月ほど前にあったりしたのだ。

 

ころりと部屋の中央で回転してうつぶせになる。

このままだと額やら頬やらに畳の跡が付くが、そんなことはどうでもいい。

いやいや、どうでもよくはないか。

折角、彼から褒めてもらったのに。

跡付き防止のために顔を手で覆ったとたん、脳裏に一期の声がそれはもう綺麗に蘇った。

 

『あぁ、白磁のような艶やかな肌とは…こういうことを言うのですね』

 

薄い頬に指を滑らせる感触と、耳にかかった吐息混じりの声が本当に降ってきた気がして、うひゃぁと思わず変な声を上げてしまう。

慌てて顔を起こして廊下の方を見遣るが、そこには誰もおらず、どうやら情けない声は誰の耳にも入らなかったようである。

ほっと安堵のため息を零して、今度は体を起こして文机の前で膝を抱え込んだ。

膝に顔を埋めれば、多少変な声を出したとしても、くぐもった声になって早々に聞かれまい…という無駄な努力をしてみる。

止めに羽織を頭まで被ってしまえば、単なる薄い布でしかないのに安心感はさらに増した。

空調が効き始めたとはいえ、まだまだ暑苦しい部屋の中、真っ白な雪だるまが夏用のイ草座布団の上に鎮座する姿は中々にない。

鶴丸は膝を睨み付けるようにじっと見て、ひと月ほど前の晩を徐々に思い出していた。

 

あの時も……一期一振と二人きりで鶴丸は遠征に行っていた。

やや長めに時間を取られるその遠征地はどう頑張っても現地で一泊せざるを得ないのだが、その遠征に顕現した初期の頃から派遣されていれば、資材がどこにあるのかなどお互い把握しているようなものだ。

だから、比較的遠征にも慣れた高練度の者は、ちょっと羽を伸ばせる小旅行なんて言っている輩もいるぐらいの場所だった。

鶴丸と一期一振も、相手こそ違えど何度も行った事のある場所だったから余計にそう思ったかもしれない。

 

何度も言うが、鶴丸と一期一振は恋仲なのである。

が、その関係性は御剣庫から変わらず、関係を知っている者たちから清すぎると何度も揶揄われていたほどだった。

………その遠征に赴いた一か月前までは。

 

鶴丸国永が年上風を吹かせたい見栄っ張りならば、一期一振は弟たちに自分たちの関係を知られるのをとにかく恐れるような弟第一という性格の持ち主だった。

粟田口の中でも鳴狐と平野藤四郎の二人の前だけはそれほどでもないのだが、それ以外の兄弟たちの前では会話すらしてこない。

体に触れるとか、口を触れ合わせるとか、そんな直接的な表現を人前でするようなことはさすがの鶴丸でも恥ずかしくて御免被るのだが、視線を合わせることすらしてこなかったレベルなのである。

その徹底ぶりたるや、弟たちの前だけでなく噂が立つのも憚られるという理由から、どの刀剣男士の前でも一時期は徹底されていたくらいだし、例え深夜室内に二人きりだとしても彼はなかなか触れてこようとはしなかった。

 

二人とも肉欲が一切ないわけではない。

愛しい相手に触れたい触れてもらいたいと思う欲だって多い少ないはあれど持ち合わせている。

それでも、音が、匂いが、雰囲気が、彼の弟らに伝わることを極端に避けられてしまうのならば、本丸内でも任務地でも接触なんて高々知れているものしかできるわけがなかった。

むしろ、乱が読んでいた少女漫画とやらの方が一歩も二歩も、いや五十歩くらい進んだ関係を築いていると言えた。

そうは思っても、鶴丸の見栄っ張りな性格が災いしてか、功を奏してか、一期一振が望んでいるのならばそれを黙って受け入れることも器の大きさだろうと納得させ未だに受け入れ続けているのだから、それこそ二人の関係を知っている方からすればやきもきすることこの上ない。

ある種、似た者同士でお似合いなのかもしれんな…とは、二人の知己であった某天下五剣の談である。

そんなこんなで、鶴丸にとって一期一振との関係など、視線を合わせて微笑むだけで気持ちを通わせることができるほど、それはもうびっくりするほど清いものだったのだ。

 

一か月前の遠征の前日、鶴丸は遠征の相手が一期一振であることを審神者から告げられていた。

一期一振とて同じように伝えられていたことだろう。

清い交際を続けていたとはいえ、それでも鶴丸にとってみれば遠征中すべての時間、一期一振を独占できるようなものだ。

嬉しくないはずがなかった。

緩みそうになる頬を叱咤しつつ、少なくとも本丸内だけは真面目腐った顔を必死で作った覚えがある。

本丸が見えなくなったところで、気の張っていた肩の力を抜いてみればそれはもうかちこちに固まっていたから、余程自分は緊張して力を入れていたらしい。

門を越えてしまった今、目の前に広がる世界、時代に自分たちを知る存在は一人としていないのだと思うと、つい緊張がぶり返してしまうのも仕方のないことだった。

何せ、全て初めてのことなのだから。

 

あの大きな手に触れてもいいだろうか。

いや、そんな直接的だと弟はいなくとも人目はあるのだから、それならば外套の端はどうだろうか。

それもだめなら彼の刀本体にある紐の、さらに先にある房でもいい。

何らか、彼の物に触れられないだろうかと物思いにふけるものの、何らいい案も浮かばずに淡々と木炭を集める作業に気を紛らわせるしかできなくて、それでも一期一振が傍にいることが嬉しくて、今までこなしてきたどの遠征よりもあっという間に過ぎて行く時間に驚いたものだった。

 

その晩、宿に入って食事をとっていても、楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。

一期一振に触れることはできなくとも、二人きりで食事をしながら会話するなんて人の身を得てこの方、初めてのことだったから、多少浮かれて饒舌になっていた自覚ももちろんある。

五分おきくらいに、はっとなって頬の筋肉を引き締めることを意識しなければならないほど、心の中ではそれはもう盛大に浮かれきっていたのだ。

 

だから、感情が浮足立っていた鶴丸は気が付かなかった。

夕飯の膳が宿の者の手によって引かれていくのをじっと見ていたせいで、人気がいなくなった瞬間気が付けば天井を見上げていた…なんてことになるとはまさか思うまい。

今までそう言った欲に晒されなかったから余計に、目の色で理解しろなんて無茶を言ってもらっては困る。

 

「あああああああ!!!…っ!」

 

あの時の一期の瞳を、それはもう鮮明に思い出してしまって、頭巾の中見悶える。

自分の瞳なんかよりも濃い鬱金が、さらに溶けて飴色に煌いていたことも。

自分の方が熔かされるのではないだろうかというくらい熱くて、まっすぐで……それで…それで…。

気が付けば鶴丸は、溜まりに溜まった唾液をこくりと静かに喉に送った。

 

しつこいようだが、鶴丸国永と一期一振は以前から恋仲だった………のだが、肉欲はあってもそういう意図をもって手を触れ合わせることすらないくらい清すぎるお付き合いをしていた。

鶴丸が、一期一振との初めてといっても過言ではない二人きりの空間で、初心な生娘よりもまっさらな心持で、一期一振の行動逐一にときめくのも仕方がなかったのだ。

 

ひと月前の遠征より以前に、恋愛のいろはにも順番があると言っていたのは、乱だったか加州だったか。

そんな二人の会話を、関心のない振りをしながら必死に言葉を拾おうと努力する平安爺がいただなんて本当に笑い話にもならなかったが、そういう意味では鶴丸も必死だった。

自分が見栄っ張りな性格であることは…さんざん言われたのだ、少しくらいはこれでも自覚している。

一期一振にとっても、弟が大事すぎるあまりそういう大人の恋愛いろはを見せたくないと必死になっていることも。

その弟自身が、一期一振の想像の斜め上にかっ飛んでいるくらい過激な読み物に対して論評を繰り返していようとも、だ。

 

だって少しでも気に入られたいじゃないか。

自分といたがゆえに不快な思いはしてほしくないじゃないか。

できれば…誰からも素晴らしいと評されるような伴侶になりたいじゃないか。

一期一振のことを大事に思っているのならなおさら。

 

だから、初めての一期一振と二人きりのお泊まり遠征に浮かれきっていたあまり、彼の行動の対処が遅れた。

まさか一足飛びに引き倒されるなんて想像すらしていなかったのだから仕方あるまい。

 

覆いかぶさってきた一期一振に初めて口を吸われて、上顎を舐られると頭が痺れるくらい気持ちいいことを知った。

舌先同士をこすり合わせるのも、唇や歯でやんわり食まれるのも好きだ。

あの大きな手で耳を覆われ、口吸いされるたびに唾液がくちゅりくちゅりと湿った音を立てるのがあんなに厭らしいなんて本当に知らなかった。

口腔内をかき混ぜる舌に、理性とか全部とろとろに溶かされていく心地だ。

 

一期一振に初めて施された官能的な口付けまで思い出して、手で顔を覆うと火を噴いているんじゃないかと言わんばかりに熱い。

どうにも腰が落ち着かず、うずうずして足をばたつかせてみても、躰中にたまったもどかしさは一向に出ていく気配がなく、それはもうとても無性に部屋を飛び出して叫びだしたくなりそうだ。

だって仕方がないじゃないか。

一期一振からもたらされる刺激だのなんだのが本当に未知のものばかりで、いくら乱たちからの話で予想しようとも、自分の想像を軽く超えてくるくらいの衝撃衝動を伴っていたのだから。

一か月も前の話だというのに、いまだに何度も克明に思い出しては見悶えている現状を見てもらえば十分理解してもらえるだろうが。

 

ただし……やはり鶴丸はどこまでも見栄っ張りだった。

しかも、これまたよろしくないことに、乱たちから教えてもらった恋愛の作法とやら…実際は彼らの話を盗み聞きしただけだが、それゆえに図解もなければその元資料のすべてを見たわけでもない中途半端な知識しか知らなかった。

もちろん、少ない知識である事、ただ彼らの話を聞いただけの中途半端である事は鶴丸自身も自覚していたことではあるのだが、乱と加州がしきりに何度も言っていたおかげで、それだけは間違いあるまいと鶴丸は自信満々に偏った知識を植え付けられていたのだ。

 

 

つまり………男は伽の最中に喘ぐものではない、と。

 

 

だからそれはもう必死に声を我慢した。

ただでさえ緊張していたのだから、今思えば言葉少なではあったのだが…。

部屋の明かりを吹き消され、帯を外す暇もなく浴衣を割かれ。

どんな言葉を交わしたのかすらも、この段階であやふやになってきているのだから、相当頭もぼんやりしていたように思う。

緊張で汗ばんでいた肌よりも少しだけ低い掌が、その温度差が、感触を主張するように肌を滑るたびに、ぐらぐらと体中の血が煮え立つような感覚に体を震わせるたびに胸がきゅうと締め付けられた。

あれほど昼間触れたかったと切望していたのを見抜いてくれていたのだなと、鶴丸もそっと顔に手をのばせば、過敏な指先をぱくりと食われ、歯を立てられる。

そうして、ちりりと微弱ながら確かな刺激が走った時だ。

 

『あっ…っ!』

 

うっかり漏らしてしまった自分の声に、はっと我に返った。

この、声は…。

 

「………幻滅されてないといいんだが…」

 

頭巾を引き下ろしてしきりに反省するのだが、時は戻るわけがないのだから今更だ。

外はあんなに明るくて暑苦しいというのに、すっかり雰囲気まで塞ぎ込んでしまえば秋の訪れのようなもの悲しさを彷彿とさせる始末…。

これではまるで以前の山姥切のようではないか…。

ふぅとため息を吐きだして、塞ぎ込んだ気持ちも一緒に出て行ってはもらえないかと思うが、そこまで単純な思考回路ならばこうも悩まないのだ。

 

やはり…男が喘ぐ事がどうしてよくないのか、恥を忍んで聞くべきだっただろうか。

それならばまだ対処のしようもあったのではなかったかと思えてならなくて…。

…いや、加州ならまだしも乱に対してそんなことを聞いたことが仮に一期にばれようものなら、その瞬間、彼との別れになることは大いに想像がつくから却下だ。

自分の経験だけで解決するほかあるまいと、かつての主を思い起こすのだが…そう言われれば喘ぐのはもっぱら女人ばかりだった気がする。

残念ながら衆道の伽に入れられる機会がなかったから想像の範疇から超えることはできないが、乱たちも言っているのだから間違いあるまい。

伽の最中、女はよくとも男は声を発すべきではないのだ。

 

記憶をたどれば、明確に声を上げたのは多分その一回だけ。

あとは口の中で頬の内側の肉をすりつぶさん勢いで口を閉じ、言葉を殺し、それもできそうになければ浴衣や手で口を覆い我慢したのだけれど……正直全ては覚えていない。

とにかく触れられるたびに嬉しくて、声がおのずとせり上がってくるのだ。

そもそも、肌を合わせるだけでもあんなに気持ちが高揚するなんて知らなかったのだから、仕方ないじゃないか。

 

あの時は、順序通りとはいかずとも手を握りしめられ、抱きしめ口を付けられた。

それだけでもふわふわとする心地であったというのに、いつのまにやらうつぶせにされ、下肢のすべてを取り払われていて。

本来ならその姿格好に恥じるところなのかもしれないが、喘ぎ声を出してはいけないと思っていたことで気が紛れたのか、変なところで余裕が生まれて頭を動かして一期一振を見遣れば、月明かりの中艶やかに瞳を輝かせながらも獰猛な色を孕んでいたように思える。

べろりと指をただ舐める仕草にすら色香を振り撒かれ、きゅうと背筋がしなるように震えた。

 

だめだ、これ以上一期一振を見つめることなんてできない。

あれはすべて毒だ。

 

といっても、うつぶせのまま腰だけ高く持ち上げられたまま、後孔の縁をなぞる指の刺激だけでも体中の骨が溶けてぐにゃぐにゃになってしまいそうだ。

事実、上半身はほとんど力も入らずに畳の上に崩れ落ちてしまっていた。

見えないなら見えないで触れてくる手の感触が生々しく感じてしまう始末。

どうにか声を出すには至らなかったが、喉がひくりと上下し、触れてくる感覚を肌の上に必死に探している段階でそれはもう時間の問題だった。

 

このままではいずれ喘ぎ声も漏らしてしまいかねない。

くしゃくしゃになって腰に纏わりついていた浴衣を引き寄せては、顔を埋める。

これで声をすべて噛み殺せるとは思わないが、何もないよりましだろう。

噛んだ浴衣がぎしりと大きく軋んだ。

 

「っ!!」

 

空調が聞いてすっかり涼しくなった部屋の中、額に浮いた汗がひんやりと冷やされていく。

あの時と同じように鼻息荒く声を殺しているのだが、思い返すのがだんだんと辛くなってきた。

そもそも、はふはふと苦し気に漏らす息と、喘ぎ声とはどう違うのだろう?

その中間は?

何が良くて何が悪いのか。

ううんと悩むがそれを解決する資料は手元にないし、それらを持っているであろう加州も乱も今日はこのあと確か夜戦に出陣予定だったはず。

 

多分…一番正しいのは一期一振に問うことだろう…。

それが誰も傷つけず、誰も迷惑をかけない方法だと知ってはいる。

いるのだが………そんなことも知らないのかと思われるんじゃないかと考えてしまえば、その決意はすぐに萎んでしまうのだ。

そんなところまで…鶴丸は見栄っ張りだった。

 

文机に足をぶつけぬよう気を付けつつ、再びころりと膝を抱えたまま転がる。

光坊あたりが居たならば着物が皺になるからとか注意されていただろうが、今、鶴丸の心を占めるのはたった一人。

一人の時は殊更にあの夜の声を思い出して仕方がなかった。

皆の居る前とは違う、あの夜だけの特別な響きを持った呼び名はいつもと同じ音なのに、それだけで甘く感じるから不思議だ。

少しだけ吐息混じりの、柔くて、優しい…でも熱を隠さない、少しばかり語尾が掠れた、それでいてはっきりとした声音だった。

 

『鶴丸殿……』

「……鶴丸殿?」

「うわあああぁっ!!!」

 

心の中の声と、現実の声とが重なって思いっきり叫び声をあげてしまう。

思わず跳ねた心臓を落ち着けるように、胸元のふわふわとした飾りを力一杯握りしめていた。

 

「も、申し訳ありません。部屋にはいらっしゃるようでしたが、呼びかけても一向に返事がないので、暑さから体調を崩されたのかと…」

「だ、大丈夫だ、ぞ!」

 

寝転がったまま見上げていれば、既視感を感じる一期一振の見下ろす顔と背景の天井。

それだけで、顔にかっと血が上ってくる。

それを散らすようにはふりはふりと肩を動かすほどに息を吐くと、いくばくか熱を外に出せた気がしたのだが…。

起こしましょうかと手を差し伸べてくれていた一期一振の動きが、目が合ったとたん綺麗に止まった。

 

「…?どうした?」

 

そろりと手をのばせば掴み起こしはしてくれるものの、そのあとはやっぱり無反応だ。

周辺に弟たちでもいるのかと思って首を動かして見るものの、そうだったらそもそも彼は自分の部屋を訪問していなかっただろう。

ならばなぜだと疑問を口にして、見た方向とは反対側に首をかしげてみるやいなや、がしりと掴まれ正面に固定された首がぐきりと変な音を立てた気がした。

 

「なんて顔をしとるのですか…っ」

「いててっ、えっ…?」

 

………顔?

顔は普通だと思うが、そんなに声を荒げられるほど変な顔をしていたのだろうか?

主からはちゃんと手入れしてもらっているし、何か疲労が蓄積しているようなこともなかったはずだ。

まだ、普段さぼっているからとか言う理由で、主の仕事を徹夜で手伝い目の下にクマをこさえていた明石よりも十分健康的だと思う。

 

考えを巡らせてみてもやはり明確な答えはわからず。

そう言えばさっき一期一振の挙動が止まったのも違和感があるのだが…。

 

両手で顔をサンドされたまま、納得がいかぬことを表すようにむぅと口をわざととがらせると、返事代わりに一期一振から盛大な溜息が漏れた。

何をそんなに呆れているのだと、きょとりと見上げていると…もう一度ため息をつかれた。

さらにおまけと言わんばかりに、はぁ…と、とうとう三度もつかれたため息に、さすがに抗議の声を上げようと口を開いた瞬間、歯がぶつかる勢いで口を塞がれる。

 

「んー!!!…っ」

 

退路を断つように後頭部を支えられ、口腔内を這いまわる舌の動きに翻弄されてしまえば、抗議の言葉などすっかり鳴りを潜めてしまう。

まるで以前の遠征の夜をたどるかのような口付けに、鶴丸も強請るように一期の首に手を回していた。

舌に乗った唾液もろとも吸われるたびにくちゅくちゅと互いの唾液が混じって音を立てる。

ここは本丸で、鶴丸の部屋である事なんて頭の中からどこかへと飛んでしまっていた。

 

気持ちいい、嬉しい、もっとと息継ぎの間に変わる角度の度にたまった二人分の唾液を何度も飲み干していく。

吸いに吸われた唇はたがいにぽってりと紅く色づき、離れるたびに銀糸の橋を延ばし途切れを何度も繰り返す。

口端から零れたものすらも惜しむように吸われ、まるで渇きに飢えた者のように互いの唾液を交換してはこくりこくりと喉に送りつけた。

 

その間もするりするりと手は下がり、尻たぶをこねるように撫でまわされれば、さすがに肩が跳ねるほどびっくりしてしまう。

 

「え、う、その…する、のか?」

 

今、ここで?

ここは本丸なのに?

あの時のように周りは見知らぬものばかりではない。

それでもよいのだろうか。

 

恐る恐るといった様子で見上げてみれば、つかれるため息もとうとう四度目となった。

 

「うわっ」

 

てっきり何か返答をしてくれるものとばかり思って顔を見つめ続けていると、せっかく起こしてもらったというのに押し倒され、がくりと思わず力の抜けた体を抱き込まれたまま畳の上に簡単に転がされてしまう。

鶴丸の視界に写るのは、やはり見覚えのある天井背景に、この前の夜とは違い、昼間の明かりのおかげで多分に読み取れる…それはもう蕩けるような笑みをたたえた一期一振の顔だ。

そして、問いに関する返答は、ちゅと吸い付いてすぐに離れた口付け一つだけだった。

 

 

 

 

 

間仕切りに、剥いだ鶴丸の着物を次々とかけていき、その裏に隠れてしまえば、ぱっと見そこに誰かが隠れているのはわかりづらい。

用意周到にせっせと準備するあたり、本当にやる気になるんだなというのがわかるのだが、何が彼のスイッチを押したのやら…。

袴を脱がされたところで上半身を起こし、ぺたりと頬に手を添えるとようやくこちらを見つめてくれる。

その瞳はやっぱりあの夜と同じく、欲を孕んだ色を湛えていた。

 

「一期一振…」

 

照れ隠しに一つ抱き着いてみたら、畳の上に広げた上着の上にすぐに押し倒されて首に甘く吸い付かれる。

衣装をすべて取り払われて、

ぴたりと合わさった胸の鼓動はお互い速くて、それだけで気持ちが一緒みたいでふふと溶けるように笑った。

 

こんな昼間から淫奔な行為に耽ってもいいのだろうか…。

あぁでも…何がきっかけかはわからないけれど、本丸で触れてもらえるなんて思いもよらなくて…嬉しくて胸が張り裂けそうだ。

ぎゅうと縋りついて肩口に額を付けると、一期一振もいっぱいに抱きしめ返してくれた。

 

これが嬉しくて。

同じ気持ちなんだなってすごくわかって。

あぁ、幸せだなぁって噛みしめてしまう。

 

快楽よりも先に幸福感で溶かされて、ふわふわと心が浮き上がる。

ちゅ、ちゅとわざと音を立てて首筋、鎖骨と吸い付いてくるのがどうにもくすぐったくて、肩をすくめて見悶えた。

と、後孔の縁に指がかけられ、ふにふにと解すように触れる。

あまりに急に触れてくるから、思わず声を上げてしまった。

 

「ひぅん!」

 

しまったと思った時にはもう声が出た後で、バチンと大きな音がする勢いで口を手で塞ぐ。

あまりの勢いに一期一振の方が吃驚してしまう始末だ。

 

「声、聞かせてはくれぬのでしょうか?」

 

手の上からちゅるりと吸い付かれ、喉の奥が引き攣った。

それでも手を動かさない自分に焦れたのか、無理に引き離そうとはしなかったのだけど、行為を続けようとはせずに声を出させようとするほうに興味が傾いたらしい。

どうしても声を上げられないと、首を細かく横に振るのだが、それもどうやら不満らしかった。

一本一本、手の甲から指先へと舌先だけで丁寧に舐めあげられると、徐々に指を剥されて行ってしまう。

力を籠めれば拒否するのは簡単なのに…剥そうとする意志を汲み取ってしまえば、それだけで効果を発揮するのだからずるいとつい思ってしまうのも仕方がなかった。

それもこれも惚れた弱みなのだ。

 

「っ…いちごひとふりっ!」

「顔はこんなに蕩けているのに…快楽に溶けた声、お聞かせ願えませぬか?」

「だ、だが……」

 

男は喘がぬものなのだろう?

その一言を問えればよかったのに、見栄っ張りなばかりに喉がひりついたように言葉が出てこないのだ。

ふと不貞に思われていないだろうかと不安に捕らわれ、浮ついた幸福感が徐々に萎んでしまった。

一期一振が望んでいるのだから何の気兼ねなく声を出してもいいのかもしれないが、それはそれで外を行く誰かに聞かれるのではと憂慮してしまう。

 

はくはくと口を動かしては言葉を喉で殺していく。

言葉を必死に考え押し出そうと思うのに、なんだかどれも違う気がして。

勝手に自分で焦れて、視線をあちらこちらと彷徨わせる間も、ちゃんと一期一振は待ってくれていて、あぁ…これはちゃんと向き合わないといけないことなんだなとようやく鶴丸も悟った。

 

「その……声、を聞かれるのが…」

「恥ずかしい?」

 

尻すぼみに萎えていく言葉を汲み取った一期が助け舟を出してくれたのだが、少しばかり意味が違う。

それでも出したくないという着地点は同じなのだから構わないかと、至近距離でこくりと頷くと、そんなことかと言わんばかりに晴れ渡った笑顔が返ってきた。

 

「なれば、羞恥など忘れさせてしまいましょう」

「忘れ………ひぁっ」

 

いつのまにやら指に潤滑の油を纏い、尻のあわいへと伸ばされていた。

入り口をゆるりと撫ぜる感触に後孔はすっかり閉じてしまったのだが、何度も襞の一つ一つを丁寧に解されていくと徐々に解けていくのが分かるのがやはり恥ずかしい。

緊張と共にほぐれることに気を良くしたのか、ぬるぬると円を描くように指の腹で油を周辺に塗りこめた後、ぬるりとした感触を伴って爪先が体内に潜り込んできた。

体内に侵入してきたそれは相も変わらず何とも言えぬような変な感触なのだけど、そんな思いとは裏腹に、油のおかげかいともたやすく根元まで差し込まれてしまう。

油を足され、隙間なく塗りこめられていく感触にぶるりと体を震わせた。

 

「っ…」

「目を閉じないで」

 

前回ならば、うつぶせにされ、顔も浴衣で覆い隠すようにしていたから顔など一切合わせなかったのに、至近距離で見つめ合ったままだ。

瞳を閉じることすら許されずに逐一観察するよう見られたら、忘れさせようと言った羞恥心すら浮かんで喉の声を潰していく。

体を熱くするものが快楽への期待からなのか恥ずかしさからなのかもわからなくなっていった。

 

そうやって交接の準備を丹念に施していた指が一本二本と増やされ、指の出し入れがようやっと不自由なくできるようになった時だろうか。

もう十分解されたはずなのに、指は出ていくことなく何かを探すように腹側の壁をしきりに擦りつけるのだ。

 

「いち…?……ああぅっ!!」

 

それは、例えるならば剥き出しの神経を逆なでされる感触。

悦楽に繋がるツボを針で突き刺されるような感覚で、指で押されるたびにびりびりと刺激が生まれ、縋りついていた手も含めて、四肢の力がすとんと簡単に抜けていくものだった。

その代わり、穴の内部がこれ以上ないくらい指をしゃぶろうと言わんばかりに収縮しているのがわかる。

 

こんなのは知らない。

前まぐわった時も押し入られた奥が切なくなりはしても、ここは触れられなかった。

 

「はっ…うぁ…なんだ、これっ」

「ここ、気持ちよいでしょう?」

 

たくさん触ってたくさん擦って差し上げましょうね。

耳にそう吹き込まれたとたん、中にある指で挟まれ、揉みこまれるように重点的に触られると、動きを妨げるように無意識に締まると同時にとうとう我慢できなくなった声が溢れた。

 

「ああっふっあぁ……あ、くっあ、……あ、」

「ね?気持ち、よいでしょう?」

「あっ…ふぁ、い、いいっ…きもち、い…からぁっ!」

「ならば、もっと。…ね?」

 

過敏な箇所を触られるどころか細かな振動で愛撫され、性器からはとぷりと蜜が零れ始める。

そしてそのこぼれた蜜を塗り込めるよう性器を扱かれれば、内と外両方の刺激で腰が無意識で跳ねた。

一か所だけでも脳髄が痺れるほど気持ちがいいのに、両方の刺激に耐えられるわけがない。

必死に伸ばした手で、一期一振の肩口に縋りつくと、背筋を駆け上がってくる絶頂感をどうにか散らせないかと無意識に爪を立てていた。

性の経験の浅い鶴丸にとって快感の逃し方などわかるはずもなく、それくらいで散らすことなど当然不可能な勢いで腰に纏わりつくようにたまる一方だ。

当然ながら決壊はすぐそこまで迫っていた。

 

「っ…、~~~~~っ!!!」

 

あっと声を上げるよりも先に、ねばこい欲を勢いよく腹の上に放っていた。

体を大きく痙攣させ、呆けたように手で扱かれる性器が白濁を吐き出すのを見つめる。

何度かに分けた吐精の度に、体は小刻みに震えることしかできず、あまりの法悦に眩暈が起こった。

ぜいぜいと苦し紛れの呼吸音が耳障りなのだが、その音すら遠くに感じるほど、新たな刺激は鶴丸を快楽の縁から更なる深みへと大きく叩き落してくれたのだ。

 

「っぅんっ…」

 

ぷちゅりと湿った音を立てて、後孔から指が全て引き抜かれる。

中を埋めていたものがなくなり、喪失感に切なげな声が漏れた。

自分でも後孔がひくりひくりと代わりのものを求めるように、淫らに引くついているのが分かったのだ。

煽りに煽られた体は、空調が効いているのに汗でぬめっている気がした。

 

息を整えている間に、腹に散った精液と先走りをちり紙で簡単に拭われる。

自身の手もその時拭ったのか、先程まで油や他の液体まみれだったはずのその大きな手が頭に伸ばされた。

よくできましたと言わんばかりに頭を撫ぜてくれるのが愛おしい。

そのまま、汗で額に張り付いた前髪を整えてくれるのが幸せで、へにゃりと相好が崩れるのが分かった。

溶けてしまった理性のおかげか素直に甘えようとすり寄ると、ふはと嬉しそうな声が降ってくるではないか。

大きな手が頬を滑り、顎を抑えて顔を合わせると、とろりと嬉しそうに笑う一期一振の顔がそこにはあった。

 

ちゅと口端に、一つ吸い付かれる。

それが二度三度と重なり、少しずつ深くしていくのが、更なる行為を予感させていく。

何度か角度を変え、ほんのり開いた口から舌を吸い上げられるのと同時に体を震わせた時だった。

 

「いち兄―どこですかー?」

 

部屋を開けられたわけではないのはわかっていても、二人して大きく肩を震わせた。

思わず顔を見合わせてしまう。

あの声は秋田だろうか。

目的も、鶴丸の部屋だけを尋ねられたわけではないようで、本丸中探しても見つからない自分の兄の姿を求めてこちらの方にまで探しに来たようだ。

よくよく耳をすませば、どこそこで一期一振を探す声が遠くからかすかに聞こえてくる。

これは、もしかしたらこの部屋に押し入られるのも時間の問題かもしれない。

 

「一期一振…その……秋田が…」

「……、……わかっております…」

 

はぁぁぁぁと地を這うような六度目のため息は、とてもとても重たくて、彼がこの場から離れたくないのだというのがすごくよくわかるものだった。

きゅうと胸のあたりに愛しさがもう一つ積もっていく。

 

まぁ、うん…仕方ないよな。

でも、君がそうやって少しでも俺とともにいたいと願ってくれていることがわかるのが本当にうれしいんだ。

触れてきてくれることだってもちろん嫌ではないんだから。

年上の矜持はできることならば保ちたいと未だに思っているけれど…。

 

障子に誰の影も映っていないことを確認してから二人して体を起こす。

乱れたワイシャツを今一度羽織り直し、きゅっとネクタイを締める様に見惚れていれば、簡単に上げられた熱もあっという間に下がってしまった。

空調がすっかり効いた寒さから、ふるりと体を震わせてしまって漸くそのことに気が付く。

風邪をひいてしまえば明日の遠征はそれこそ中止になってしまうと衝立に駆けられた着物に手を伸ばす前に、下敷きになっていたせいでぺったりと畳に張り付いていた一期一振の上着が、白くて肉の薄い肩にかけられた。

きょとりと見上げるとしばらくこのままでと上着ごと抱きしめられる。

完全に拭きとれなかったのか、腹を滑る白濁に照れて顔を肩口に埋めていると、ふいに耳に吐息と共に鶴丸国永の見栄っ張りやらなんやらすべてを砕くような、とんでもない呪いが吹き込まれた。

 

「明日は、あなたを存分に犯して差し上げます故、」

 

ついと腹の白濁を指の腹で塗り広げられる。

たったそれだけなのに、先程散々指で舐られた箇所に熱がともり、腹の奥がきゅうんと、切なげに啼いた。

自分の思惑なんて忘れてしまったように、びくびくと腰が揺れてしまう。

 

「もっと声をお聞かせ願いますよう」

 

そうしなければ、身も世もなく抱き潰してしまいますので…なんて言われたら。

蕩けた顔を晒してでも、こくりと黙って頷くしかできないじゃないか。

一期一振の上着を手で押さえたまま、彼が去った後もしばらく下半身を露出したまま。

やはり先程の出来事を思い出しては顔を真っ赤にさせて、畳の上に突っ伏す鶴丸がそこにはいた。

bottom of page